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2月, 2022の投稿を表示しています

1943年のR&Bチャート(Billboard)

1943年のBillboard R&BチャートNO.1ヒット (YouTube) List of Harlem Hit Parade number ones of 1943 (Wikipedia) クリスマスっぽい2曲に始まり、早くもLouis Jordan、Nat "King" Cole、Duke Ellingtonといった超大物が出てきました(Big Crosbyも超大物ですが)   The Ink Spotsも今後の常連となります。全体にはメロウな曲が多く、例えばロック好きにはまだ物足りないところがあるかもという顔ぶれですが、See See Riderなどのブルースがしっかり食い込んでいるのは見逃せない。 Lucky MillinderのApollo Jumpはぼんやり、アポロ11号に便乗してヒットをねらったインストのような気持ちで聞いてましたが、アポロ11号が月に行ったのは1969年のことで(「サマー・オブ・ソウル」でも言及がありましたね)じゃあアポロ計画はいつからあったんだと調べると、1961年から開始ということで、本当に全然関係ない。 この辺のビッグバンドのインストのブラスセクションがLittle Walterらにも影響を与えたのだろう、などと考えて聴くのもまたおもしろいでしょう。 42年に引き続きElla Rae MorseやBing Crosbyといった白人シンガーも入っています。これは前回に触れたように、「黒人街で聴かれた曲」を基準としたこのチャートの性質によるもので、必ずしも黒人アーティストで埋まるのが正解ではないということを改めて強調しておきたいところ。(事実、後年にはあのロックンロールの大物なども入ってきます) それほど詳しくないので、あまり書くことがなく、本年はこのくらいで。

歌詞と訳詞:The Moon is Rising(Robert Nighthawk)

The Moon is Rising Yes, the moon is rising, yes, and the sun is sinking low. Yes, the moon is rising, yes, and the sun is sinking low. I can't find my woman, yes, I wonder where did she go? You can talk about my woman There it is, what you please. But I want you to know yeah, she's alright about me. She's my baby. Yeah, I swear I wouldn't lie. Yeah, she's gonna be my baby. Yes, until the day I die. Can't you remember, woman Can't you remember the words you said You were too intoxicated You was talkin out your head You're my baby Yes, and I don't care what you said Yes, you'll gonna be my baby Yes, until my dying day ああ、月が昇る ああ、それに太陽は沈む ああ、月が昇る ああ、太陽は沈んでいく 俺の女がいなくなった いったいどこに行ったっていうんだ おれの女をなんと言おうがかまわない ほら、言ってみな でも聞いてくれ あいつはおれにはよくしてたんだ あいつは俺の女 誓ってもいい、嘘じゃないぜ ああ、あいつはおれの女さ おれが死ぬその日まで なあ、覚えてないのか 俺に言った言葉を おまえは頭にきてて 何も考えずにしゃべってた おまえは俺の女だから 何も気にしないでやるさ ああ、おまえは俺の女だよ 俺が死ぬその日まで

音源: Performance of blues music at Florence's Lounge, Chicago, Illinois

Performance of blues music at Florence's Lounge, Chicago, Illinois https://www.loc.gov/item/afc1981004_afs20665/ https://www.loc.gov/item/afc1981004_afs20666/?fbclid=IwAR14BRomIYq-ZjXbXKTAYX8Gy3Q-HEiEypQ8Anvh6tej6FJY4k24dCmXLVU 1977年、シカゴFlorence's Loungeでの演奏を収めた録音 奏者が誰かは不明の様子

翻訳:Big Walter Horton インタビュー

  Louis Myers(?),Sonny Boy Williamsonについて聞いてもいいですか? Oh,yeah!Louisね。(聞き取れない) 彼らのスタイルはあなたとどう違いますか?  Well,そんなに多くは違わないよ。それに…彼の知ってる半分くらいのことについては俺が教えたしね。 Sonny Boyに?  ハーモニカについてはね。そうさ。 本当ですか?(笑)  あいつのスタイルはもともと俺のものだった。でもあいつが覚えちゃったから(?)、俺は新しいスタイルを作ることにしたんだ。俺はほかの誰みたいにもプレイしたくない。you know?俺は、俺みたいにプレイしたいんだ。ほかのやつのことは考えないね。音楽においてはね。俺の音楽はほかのやつのと違ってサウンドしてほしい。  なぜなら、Sonny Boyみたいにやったら、それはSonny Boyスタイルだ。Little WalterみたいにやったらLittle Walterスタイルさ。  こっちのWalterらしくプレイさせてくれよ!(笑)

ブログ:ビザールファン的に気になるシカゴのギターセンス

  よく見るけど、どこでES-330のピックガードだけ買えるんだろう?   「昔気質の頑固者」のイメージがあるけど、意外ととんがったギターが好きみたい Teiscoのアンプ付きギターなんて珍品を抱えてにっこり。 有名な、Hubert SumlinのBartolini。 レコーディングは全部ゴールドトップだったらしい。 後年SRVに別のリッケンバッカーをもらうが、これは多分買ったのかな。黒いやつ。こんなんでもあの音です。たぶん。 おしゃれなSnakeはヘッドに自分でバインディングを描いちゃう 個人的に一番の謎:GretschのMud SwitchをGibsonのVari-Toneに交換してくれる楽器屋なんてあったのか その、GretschのGカットテールピースだけってどこで売ってるんですか? 壊れるようなパーツでもないし、きっとこれもおしゃれなのでしょう Barney Kessel当人の50倍はBarney Kesselモデルが似合う、Freddie Robinson 余談ながら、Freddie RobinsonはPUをめっちゃくちゃ高く調整しています やっぱりTボーンも似合ってます。   gatemouth brownはじめ、意外と使ってる人を見かけるJaguar。「Fenderの一番高いやつくれ」と言って買うんでしょうか。 「Fenderの安めなやつくれ」と言ったのかしら? pee wee(ちび)というくらいだから小さめがちょうど良かったのか? TeiscoのSpectrumと、 SG Deluxe。そんな組み合わせあります? Earl HookerのワウはVOX。 ジミーペイジはこれを見てダブルネックを買ったらしいですね。 これだけいいギターを持っていたのだから、ヨーロッパの映像で有名なUnivoxのレスポールもどきは「盗まれてもいいツアー用ギター」って位置付けだったのかな。ちゃんと名前も書いてあるし。ギターの奔放さのわりにまじめな人だった?まあ、真面目に練習してなきゃあのギターは弾けないね… Guildからマディバンドに提供されたStarfireを後年も愛用するSammy Lawhorn。ステッカーがいけてる。 後年、生活保護を受けるまでになってもこのギターは手放してなかったですね switchmaster。PUがいっぱいあるのが良...

訳詞:Blues Before Sunrise(Elmore James版)

夜明け前にブルースにとらわれた 涙をためながら 夜明け前にブルースにとらわれた 俺の目には涙がにじむ 相も変わらないみじめな気分 こんな気持になりたくはないんだ おまえを放って出て行こう 俺を裏切ったから お前を置いていくよ 自分がしたことはわかってるだろう 荷造りして出て行ってやるさ 君とも 幸せな家ともさよならだ 出て行かなきゃな お前は独りにして ここから出ていくよ 独りで置いていくさ 出て行かなきゃならないんだ 俺に酷いことをしたんだから じゃあ、さよならだ  雨の日には会うこともあるだろう さよなら、雨の降る日には会うかもしれないけれど もう好きに生きていけばいいさ 俺はお前に勝手にやってほしいんだ

音源: Recording of performances and interview with Louis Meyers at the Kingston Mines, Chicago, Illinois,

音源 https://www.loc.gov/item/afc1981004_afs20637a/ https://www.loc.gov/item/afc1981004_afs20637b/ 写真 https://www.loc.gov/item/afc1981004.b45841/ 出演者 Myers, Louis (Interviewee) Johnson, Jimmy (Performer) Stroger, Robert (Performer) Payne, Odie (Performer)  シカゴ・ブルースファンの間で人気の高い、「最高のリズムセクション」The Acesの一翼を担ったルイス・マイヤーズ、のインタビュー&演奏音源。 先日亡くなったJimmy Johnsonも参加している。 こちらのライブラリでは無料でこうした音源などを公開しているので ネタのない時に紹介してみます。 時間あれば聞き取りと翻訳も。でも、聞き取りって大変だから、タダでやりたくないな…。

翻訳:Jimmy Tillman インタビュー

Jimmy Tillmanはブルースとそのドラミングに対して、非常に強い歴史感覚をもってアプローチする。文化遺産としてのブルースについての知識をこれほどまでに備え、保存に対しての意識の高いドラマーは他に会うことはなかった。自身が尊敬を集めうるドラマーであると同時に、彼は教師であり、作曲家でもあり、指導者であり、脚本家であり、ライターでもある。彼は演劇作品、"Muddy Waters:The Hoochie Coochie Man"の制作を牽引していた。それに"The Art Of Blues Drumming"という冊子を執筆した。ブルースを知らないドラマーにむけた素晴らしい教則本だ。 熱心に、そして明瞭に、彼はブルースを出版あるいは口伝えに人に教えている。 私がChicagoにいる間、彼は"Muddy Waters"の公演に招待してくれたが、Chicago Blues Festivalの間だったので行くことはかなわなかった。したがって彼は、ショウの始まりについて、またMuddy本人との特別な関わりについて説明してくれた。それは以下に記す通りである。 "Muddy Waters:The Hoochie Coochie Man"はどのようにして始まったのか教えてください。  この劇は1982年のMuddyにインスパイアされているんだ。私はそのときChicago Blues All-Starsと仕事をしていて、Muddyともツアーしていた。彼が、誰も自分の人生について本に書いたり、形にしたことがないという話を出したことがあった。  私はシカゴに住んでいるブルース・アーティストとして、シカゴ小学校で子供たちにブルースの歴史を教えていることを話して、自分にできることはないか、と聞いてみたんだ。彼はぜひにと、そうしてくれたら本当に感謝すると言ってくれたよ。シカゴからブルース・ミュージシャンとして成り上がることはどういうことだったか、彼がどういう苦難に直面したのか、を若い世代に知って欲しいと、彼は強く思っていた。  それでこのツアーの間、二人で座っては、Muddyが自分の物語を話し始めるようになったんだ。演劇にしている情報の多くは彼本人か、Willie Dixonに聞いたものだ。それから程なくして、...

翻訳: Casey Jones インタビュー

Casey Jonesは1956年に、Little Richardを夢見てシカゴにやってきた。Little Richardこそが彼の関心事だった。しかしJonesはすぐシカゴ・スタイルのブルースに腰を据えることになった。「何ブルースでもよかった。とにかくものにしたかっただけさ」と彼は回想する。  今日、Jonesはシカゴで一番多忙なブルース・ドラマーだ。Johnny Winterと録った2枚のアルバム―"Guitar Slinger"と"Serious Business"(いずれもAligator Recordsから)は、彼のクールで正確なバックビートを聴ける好例といえる。彼はできるときはいつでも自分のバンドでプレイするし、"Airwax Records"という小さな独立レーベルも運営している。さらに、自作の曲をいくつか録音することも計画している。  Jonesと話したとき、彼はWinterとの仕事を終えたばかりだった。Jonesは活力にあふれ、プライドを持てるミュージシャンだ。機会が与えられれば一日で三つのセッションだってこなすだろう。それも毎日。「仕事がしたいんだよ」というときの彼の笑顔は、James Brownのそれを思い起こさせた―"I'm ready, able, and willin'"というわけだ。 50年代中ごろにシカゴに移住したのはどういった理由からでしょうか?  ああ、俺の義理の兄貴が、シカゴでOtis Luke & The Rhythm Bumsってバンドをやっていたんだ。ドラマーが足りないというんで、ある日俺が呼ばれたんだが、ドラム・セットについては何も知らなかったんだよな。マーチング・ドラムしかやったことがなかったから。だけどシカゴに来てトライしてみたよ。ギグを通してな。わかるだろ。そうしているうち、グルーヴにハマってしまった。  ほとんど問題なかったがハイ・ハットだけはだめでね。あれをちゃんと使うのにはずいぶん苦労したよ。そもそもハイ・ハットを持ってすらいなかったからな。バスドラム、スネア、シンバル。これだけだ。  その頃は1週間に7晩、それぞれ違うブルース・バンドを聴きに行けたものだ。この街じゅうが活気にあふれてた。最近じゃそんなにた...

翻訳:Odie Payne,Jr. インタビュー

Odie Payne,Jr.は遅めのペースで、疲れた様子で話す。背中が痛み出すと、さらにゆっくりと言葉をつなぐようになる。私がインタビューしたのは、彼がPee Wee Crayton、Eddie "Cleanhead" Vinson,Lowell Fulsom,Margie Evansなどのバックをこなした演奏の翌朝である。  ふつうの健康なドラマーであっても相当な激務にちがいないギグだが、背中の痛みを抱えてなお、彼には喜びのようだった。60歳の彼だが、仕事を断ることはほとんどない。「演奏している間は痛くないんだよ。来るのは後からだ。」と、少し笑いながらいう。「あんなCatsと演奏できることは長いことなかったんだ。俺が憧れてきた人たちだ。そんなチャンスをフイにできるか?no sir.」  さて本日、Payneは楽に歩いたり話したりしていた。背中の痛みで今日のリハーサルを逃すことがないように体力を温存しながら。彼にとっては、演奏できないことの方が背中の痛みよりも辛いのだろう。 あなたのシカゴ・ブルース・ドラマーとしてのキャリアの開始は、1940年代後期にもさかのぼります。これはジャンルや場所を問わずとても長いですね。  ああ。そうだろうな。俺が最初にナイトクラブで演奏したのは1949年のことだから。その時はTampa Redと一緒だった。 それではあなたがドラムの演奏を始めた頃の話を伺いたいと思います。  Dusable高校でのことだ。あれはドラマーには素晴らしい学校だった。いや、全てのミュージシャンにとってというべきか。何の楽器をやっていようとだ。最高の先生もいた。Walter Dyett先生※1はとても情熱的で、 彼の陰口をいう人なんか一人もいなかった。とても尊敬されていたよ。彼が集会場に現れると即座に皆静まり返ったものだ。彼は時として苛烈で、人を見つめるだけで泣かせられるくらいだったがいい先生だった。皆に尊敬されて、評価されていたんだ。 プロのドラマーになりたいと思ったのはその頃のことでしたか?  実際はもっと前だ。さらに昔、俺は学校の机を指で叩いてドラムの基礎を覚えた。空の机っていうのは指で叩くとなかなかいい音で鳴るんだぜ。先生が教室を出たらいつでも演奏開始だ。そしたらすぐ、クラス中がジャンプし出す。それで毎回先生が戻って来て俺を捕まえるん...

歌詞:Cold Chills(Hip Lankchan)

Cold chills,(break) Cold chills(break) come over me. When I see my baby walks, when I hear my baby talks. When I see my baby walks, when I hear my baby talks. Cold chills,(break) cold chills(break) come over me. When I take her in my arms, Then she thrills me with a hot charm. When I take her in my arms, Then she thrills me with a hot charm. Makes me kinda about(?) Then I do my little shout  She's gonna make cold chills come over [SOLO] When she calls me on the phone, Then she says she's all alone When she calls me on the phone, Then she says she's all alone Nah, I do hate to say(?) I don't want her all the way. [SOLO] She's gonna make cold chills come over Well I'm glad So glad she's mine She makes cold chills, she makes cold chills, come all over me. Alright, alright. Alright, alright. She makes cold chills, she makes cold chills,[break] come all over me.

1942年のR&Bチャート(Billboard)

1942年のBillboard R&BチャートNO.1ヒット (YouTube) List of Harlem Hit Parade number ones of 1942 (Wikipedia) 序  たとえばシカゴ・ブルース一本で聴き込むと決めていたとしても、当時シカゴの街で流れていた音楽-ラジオ、ジュークボックス、レコード屋の宣伝、街のバンドのカバー、いろいろな形があるだろう-の存在は無視できない。いわゆるメインストリームの音楽と、ローカルなそれは、相互に作用し合っていたはずだ。しかし、リアルタイムのアメリカに生きていない我々には、それを実感できる機会が当然少ない。  その機会というのを人工的にせよなんとか作ってみたいというのがこの企画の趣旨だ。その体験を踏まえて、「この時期はスウィングが流行っていたから、ブルースでもそのノリを導入してるんだな」とか解釈していく作業を個々にやっていければよいと思う。 レビュー  と、言えるほどのことが自分にできるとも思わないが、何かのとっかかりとして、このプレイリストを聴いて感じたことや、個人的に見つけた補足のようなことを書くようにしておきたい。あまり面倒にして続かないと困るので、箇条書きで。  企画そのものは、冒頭に示したYouTubeプレイリストと、Wikipediaの記述を参照してもらうだけで成立している。ので、以下はおれのブログというのが位置付けとして正しいだろう。 ・Harlem Hit Paradeという名前が示すとおり、billboardのこの「R&B」チャートというものは、ざっくりいえば 「黒人街のレコード店やなんかでよく売れた」 ということを判断基準にしているらしい。  というのは、全体の売上チャートの中から「R&B」というジャンルを抜き出すというふうに作ると、それはただの全体チャートの縮刷版にしかならないし、さらに「R&B」というジャンルにその曲が当てはまるかどうか、という判断が運営に委ねられる以上、恣意的なランキングになってしまうから、のようだ。まあ、正確なところはこの本を読んでほしい。めちゃくちゃ面白いので…。 Amazon-アメリカ音楽の新しい地図(大和田俊之) ・だから、Ella Rae MorseやBing Crosby(!)といった白人歌手の面々がこのチャートに入...