スキップしてメイン コンテンツに移動

ブログ:ビザールファン的に気になるシカゴのギターセンス




 

よく見るけど、どこでES-330のピックガードだけ買えるんだろう?


「昔気質の頑固者」のイメージがあるけど、意外ととんがったギターが好きみたい

Teiscoのアンプ付きギターなんて珍品を抱えてにっこり。


有名な、Hubert SumlinのBartolini。
レコーディングは全部ゴールドトップだったらしい。

後年SRVに別のリッケンバッカーをもらうが、これは多分買ったのかな。黒いやつ。こんなんでもあの音です。たぶん。

おしゃれなSnakeはヘッドに自分でバインディングを描いちゃう


個人的に一番の謎:GretschのMud SwitchをGibsonのVari-Toneに交換してくれる楽器屋なんてあったのか

その、GretschのGカットテールピースだけってどこで売ってるんですか?
壊れるようなパーツでもないし、きっとこれもおしゃれなのでしょう

Barney Kessel当人の50倍はBarney Kesselモデルが似合う、Freddie Robinson

余談ながら、Freddie RobinsonはPUをめっちゃくちゃ高く調整しています

やっぱりTボーンも似合ってます。
gatemouth brownはじめ、意外と使ってる人を見かけるJaguar。「Fenderの一番高いやつくれ」と言って買うんでしょうか。

「Fenderの安めなやつくれ」と言ったのかしら?
pee wee(ちび)というくらいだから小さめがちょうど良かったのか?
TeiscoのSpectrumと、 SG Deluxe。そんな組み合わせあります?

Earl HookerのワウはVOX。

ジミーペイジはこれを見てダブルネックを買ったらしいですね。

これだけいいギターを持っていたのだから、ヨーロッパの映像で有名なUnivoxのレスポールもどきは「盗まれてもいいツアー用ギター」って位置付けだったのかな。ちゃんと名前も書いてあるし。ギターの奔放さのわりにまじめな人だった?まあ、真面目に練習してなきゃあのギターは弾けないね…


Guildからマディバンドに提供されたStarfireを後年も愛用するSammy Lawhorn。ステッカーがいけてる。

後年、生活保護を受けるまでになってもこのギターは手放してなかったですね
switchmaster。PUがいっぱいあるのが良かった?


ES-330にハムを乗っけて、ペグもGroverにしている。
どこでそんなことやってくれるのか。


同様な改造だとこの人が有名
見つかりそうで見つからない、謎の日本製風ギター

Hofnerのverythinかなにか。
意外とharmonyとかdanelectroとかを見かけない。
安ギターにしても、あえてこういうヨーロッパ製の楽器を使うのがおしゃれ、みたいなのがあったのか?

walterがグレッチ!?と思ったが、イギリスでの写真らしいので多分借りたのでしょう。シングルカッタウェイのCountry gentleman。

「JB Huttoモデル」ですがこちらはjimmy reed。
このギターがわたしの憧れでした…(white stripesの)

テスコのチューリップ型ベース?弾きにくそう。

なんでベース持ってるの?

Jimmy RogersもB.B.Kingに勝るとも劣らないブルースマンですから、ルシールを抱えてこうも鷹揚に微笑むことができるのでしょう

コメント

このブログの人気の投稿

翻訳:Morris Jennings インタビュー

Morris Jenningsは”シカゴのBernard Purdie”として知られる。「おれはプレイして、さらにプレイして、たくさんのギグをやった。でもドラム・キットの後ろやなんかに看板なんかを下げたことはないね。」とJenningsはいう。「俺はドラムをプレイしてきただけで、それだけさ。」 ある意味で、Jenningsはブルースから遠く離れ、音楽の他の枝ーたとえばジャズ、ファンク、R&B、ロック、メインストリームのポップさえーと接続することに成功したシカゴ・ブルース・ドラマーの、代表的存在といえるかもしれない。彼はシカゴのCMジングル業界でも認められている。Jenningsのこの多彩さの一部は、ジャズや、彼のいうところの「クラシック」の教育を受けていること、に拠るところもあるだろう。そして、多様性に対しての憧れを育んだことにも。しかし、そもそもそれは、ドラマーとして生きるために、シカゴでライブやレコーディングの仕事をこなしていくために必要なことだったのだ。 シカゴのような、ブルースに囲まれた街で育つというのはどんなことでしたか?  音楽がそこら中にあったのは間違いない。全ては素晴らしかった。Bo Diddleyは1ブロック隣に住んでいたし、Muddy Watersもそんなに遠くなかった。大きな通りには必ずブルース・ジョイントがあった。俺が小さい頃はね、わかるかな。夜中に家を抜け出して、ブルース・ジョイントの外で聴いてるなんてことはよくあったんだ。英才教育がそこにあったってわけだね。それが博士号みたいなもんで。俺はいまだにその時の経験から引き出すものがあるよ。  でも当時のシカゴで最大、最高のものはー少なくともミュージシャンにとってはだがーDuSable高校に行って、"Captain" Walter Dyett先生に学ぶことだった。あの人は全員に教えたからね。Wilbur Campbellから、J J. Johnson、Nat King Cole、Sarah Vaughanまで。DuSable高校の卒業生のその多くが、大スターになったりいいミュージシャンになった。教育はストリートにもあったし、学校にもあったってことだ。もしそれを生かしたいと思うならね。  今では俺が受けたような「ブルース教育」は、若いやつは受けられなくなってしまった。今...

翻訳:Earl Hooker インタビュー

はじめに、定番の質問といきましょう。生まれはどこですか? ミシシッピのクラークスデイル。 誕生日は? 一月十五日だ。 何年かも教えてもらえますか? 俺が生まれたのは一九三〇年の一月十五日だ。 農場で生まれ育ったのですか。 いや、育ちはシカゴだよ、シカゴに引っ越したから。 なるほど、しかし子供のころは、周りの大人はプランテーションや何かで働いていたのでしょうか? ああ。母親も父親もファームで働いてたが、おれが一歳の時にシカゴに移り住んだんだ。 そうなのですね。 だからシカゴが俺の庭で、勝手がわかってるのもシカゴなんだ。 なるほど。ご家族はなにか楽器をやっていたんですか。お母さんは何か演奏しましたか。 おやじはハーモニカと、ギターと、バイオリンができた。おふくろは昔歌ってたんだよな。たぶん、Rabbit Foot Showで、大昔に。 歌手だったんですね。 うん。 家族の中に音楽があったわけですね。 家族はみんな歌えたよ。説教師も、歌手もいて、一人目のいとこにJoe Hintonがいた。「Funny How Time Slips Away」とか、たくさんレコードを作ったやつだ。 なんと、Joe Hintonがいとこなんですか。 そこの写真に写ってるのがJoe Hintonだよ。 本当ですね。あなたと親戚とは知りませんでした。あなたに、兄弟や姉妹はいたのですか? 妹がいてね。あいつもミュージシャンでオルガンと歌をやるよ。 妹さんもシカゴに住んでいるんですか? そう。 ご両親は辛い時代にここに引っ越したことと思いますが。 そうだな。大昔のことで、俺は何も知らないんだが。 あなたはシカゴで生まれ育った、そういうことですね。ところで、あなたがギターを弾き始めたきっかけになった人はいたのでしょうか?どうやって始めたのですか?最初は…… あー、Robert Nighthawkだな、それに、Leo BlevinsとKinky Blevinsっていうふたり兄弟がいてな。そいつらが音楽のやり方を教えてくれたのが最初だ。もともと俺はとんでもない悪童で、ストリートギャングと一緒に走り回ってたんだが、音楽をやり始めてからはそういう悪事はみんな頭から消し飛んじまって、音楽にハマりだしたんだ。最初のギターはSears & Roebuckのだった。毎週一ドルと五〇セント払ってたねえ。 エレク...

John Lee Hooker Interview

 John Lee Hookerインタビュー ーーあなたは反抗的な子供でしたか?  いや。おれはずっとクリスチャンだ。日曜の学校でそうやって育てられたからな。信じないかもしれんが俺は生まれてこのかた喧嘩をしたことがないし、トラブルに巻き込まれたこともない。暴力沙汰にもね。けして。戦いのことを信じてないんだよ。俺はloverで、fighterじゃないんだ。良くない奴がいたら縁を切るだけ。なるべくトラブルからは離れて生きてるんだよ。巻き込もうとしてくる奴らもいたけど、そうはさせなかったよ。俺は聖人君子だったことはないけど、ずっといい人間なんだ。人をたくさん助けるしな。 ーー他人のソロを一音一音練習するようなことはありましたか?  たまにはな。そんなにはやらない。俺は自分のスタイルが好きなんだ。いつも独学でやってきた。俺は他人をコピーするような人間じゃないんだ。俺はJohn Lee Hookerでありたい。 ーーエレキギターを弾く人を初めて見たのはいつか覚えていますか?  うーん。T-Bone Walkerだな。あの人は俺の憧れだった。彼が俺の最初のエレキギターをくれたんだ。エピフォンだった。 ーー彼のすごいところは何でしょう?  彼はすごくうまかったんだ。独特のスタイルでエレキギターを弾いてね。いい人だったよ。どこへ行くにも好んで俺を連れて行ってくれた。俺のことを「The Kid」って呼んでたね。デトロイトでのことさ。 Jas Obrecht Interview