Jimmy Tillmanはブルースとそのドラミングに対して、非常に強い歴史感覚をもってアプローチする。文化遺産としてのブルースについての知識をこれほどまでに備え、保存に対しての意識の高いドラマーは他に会うことはなかった。自身が尊敬を集めうるドラマーであると同時に、彼は教師であり、作曲家でもあり、指導者であり、脚本家であり、ライターでもある。彼は演劇作品、"Muddy Waters:The Hoochie Coochie Man"の制作を牽引していた。それに"The Art Of Blues Drumming"という冊子を執筆した。ブルースを知らないドラマーにむけた素晴らしい教則本だ。
熱心に、そして明瞭に、彼はブルースを出版あるいは口伝えに人に教えている。
私がChicagoにいる間、彼は"Muddy Waters"の公演に招待してくれたが、Chicago Blues Festivalの間だったので行くことはかなわなかった。したがって彼は、ショウの始まりについて、またMuddy本人との特別な関わりについて説明してくれた。それは以下に記す通りである。
"Muddy Waters:The Hoochie Coochie Man"はどのようにして始まったのか教えてください。
この劇は1982年のMuddyにインスパイアされているんだ。私はそのときChicago Blues All-Starsと仕事をしていて、Muddyともツアーしていた。彼が、誰も自分の人生について本に書いたり、形にしたことがないという話を出したことがあった。
私はシカゴに住んでいるブルース・アーティストとして、シカゴ小学校で子供たちにブルースの歴史を教えていることを話して、自分にできることはないか、と聞いてみたんだ。彼はぜひにと、そうしてくれたら本当に感謝すると言ってくれたよ。シカゴからブルース・ミュージシャンとして成り上がることはどういうことだったか、彼がどういう苦難に直面したのか、を若い世代に知って欲しいと、彼は強く思っていた。
それでこのツアーの間、二人で座っては、Muddyが自分の物語を話し始めるようになったんだ。演劇にしている情報の多くは彼本人か、Willie Dixonに聞いたものだ。それから程なくして、Muddyは大きく体調を崩して、ツアーをやめざるを得なくなった。私が学校へと戻って、このプロダクションを完成させたとき、Muddyを公演に招いたけれども、彼は来れないくらいに身体を悪くしていた。学校で公演をやってから2週間後に、Muddyは亡くなった。彼の来訪はただ観てもらうだけじゃなくて、彼に名誉学位を与えたかったということもあったんだ。Muddyはなに学校も卒業したことがないからね。それ以来、私は自分が書いた脚本を持っていって、ステージに来た人に渡すことにしたんだ。私たちはこれを「ブルージカル」にした。ブルースについての話であり、Muddy Watersの人生の物語だからね。シカゴではもう6ヶ月ほど公演しているけど、この記事を読んでもらう頃にはうまくすれば私はニューヨークや、カナダや、ヨーロッパにいるはずだよ。
あなたが劇作品や、"The Art Of Blues Drumming"のために行った取材、そしてあなた自身のブルース・ドラマーとしての経験を踏まえて、良いブルース・ドラマーとなるための資質とは何か、定義してくださいませんか?
ブルース・ドラマーは他のドラマーと何ら変わるところはないよ。一にも二にも、ドラマーはドラマーだ。だから、確かなビートを保たなければいけないし、ダイナミクスを持たなくてはならないし、コントロールできなければならない。ブルースの構成というのは実にシンプルだ。ゆえに、それは良くプレイされなくてはならないんだ。
ブルースはすべてのアメリカ音楽のルーツだ。ほかのジャンルを背景にもつドラマーが、ブルースをやろうとすると、しばしば12小節の間のすべてのスペースを埋め尽くそうとしてしまう。それは、違う。ブルース・バンドの中でのドラマーというのはせいぜい4人とか5人でコンサートをやる中の1人なんだ。ドラマーはそういうことを理解してプレイを組み立てなくてはならない。
ブルースをやる上でのルールはこうだ。"less is more"(少ない方が豊かである)少ないことをやるほど、曲は効果的になっていくんだ。
ドラムのチューニングについてはどうでしょうか?ブルースのドラマーは、他の音楽に比べて違ったチューニングのアプローチをしたりしますか?
ブルース・ドラマーはバンドがあるべき姿に合わせてチューニングする。「おれはドラムはGにチューニングするよ」とかってドラマーもいるが。まあ、聞きな。夜通しのギグを、ほとんどEでやるようなバンドにいたら、そのやり方じゃうまくないかもしれないな。
意味がわかるかね?ほとんどのブルース・バンドはEか、Aか、Bナチュラルか、だ。ひょっとしたらたまにはB♭とかFのときもあるかもしれんが。しかし、ハードコアなシカゴ・ブルース・グループでは―連中はハーモニカを使うから―E、AかBだ。ジャズの奴らはフラット・キーを使うがね。シカゴでも、ほかでも。
シカゴの素晴らしいブルース・プレイヤーの大多数はミシシッピ出身です。その事実は、私たちがシカゴ・ブルースとして聴いている音楽の特色と深い関係があると思いますか?(意訳)
うーむ、そうだな。でも、一部にはメンフィスから来た連中もいたし、ニューオリンズから出てきたやつもいた。私はOdie Payne, Jr.からブルースについて多くを学んだ。Al Duncanにも、Morris Jenningsからもな。彼と私は同じ高校を出ていたから―DuSable高校をな。彼はプロになって、コンサート・バンドでやるようになってから、高校に戻ってきたよ。私は彼がプレイするすべてを覚えて、家に帰ったらそれをマスターするように努めたんだ。彼はいったよ。「Man,他の何をやる前にもブルースのやり方を覚えなきゃならんよ。」ってね。それからCasey Jonesとも会ったが、彼のスタイルはまったく異なるものだった。彼はたぶんミシシッピから来たんだろう。やつはブルースを、ロックンロールのフィールでやっていた。…つまり、すべてのものがミックスされて、シカゴ・ブルース・スタイルになっていったんだ。もしもそれらを一つ一つつまみ上げていったら、あらゆるたくさんのルーツが見えてくることだろう。Caseyはすばらしいシャッフルをプレイしていたよ。わたしは彼のシャッフルがいつも好きだった。
あなたがCaseyのシャッフルについて言及するとはおもしろいです。彼自身にその話を聞きましたから。
しかし、みんなシャッフルを当たり前のものと考えているよね。12小節ブルースもしかりだ。でも、あの中にはアフリカン・ドラムのルーディメンツメンツが含まれているんだ。アフリカからアメリカに渡ってきた、ね。
ブルースはアフリカン・ドラミングだ。あるいはシンバル付きのドラムキットで叩かれるアフリカン・ドラム・パターンとでもいうかね。4/4の拍子じゃない。12/8なんだ。みんな4でカウントするけど。それは12個カウントするんじゃ長すぎるからだな。
シカゴにおけるドラム・スタイルやブルースのタイプについていうと、Muddy WatersのドラマーであるところのWillie Smithは、その完璧な例である、と以前どこかで読んだことがあります。
まったくそのとおりだ。よく聞いてほしい。彼は私が見たどんなドラマーとも違うプレイをしていた。彼はあべこべにプレイしていたんだ。フロアタムは左手側に置くようにね。左利きとしてプレイもしただろうけど、ドラムセットは右利き用にセットしていた。彼のプレイを見て、同時に聴いたとして、その二つを(同じ一つのプレイとして)結び付けることはできないだろう。
彼がビートを遅らせ(delay)ながらテンポは決してモタらない(drag)ときといったら最高だ。Muddyはそれがあったからあのスタイルなんだ。彼とバンドの演奏を少し聴いたら、音が自分に向かって流れてくるのを感じるはずだ。さながらミシシッピ河のようにね。はじめはさざ波のようだが、ショウが進んで、Willieが調子を上げてくる。すると、いつの間にかダイナミクスが上がっているんだ。気づくことすらないだろうね。
例えばMuddyの「Rock Me」―彼の偉大な曲だね―とかね。Willieはビートを後ろに引っ張る(pull the beat back)が、しかしテンポをモタらせることは決してない(but he never drag that tempo)常に正しいポケットにいるんだ。
ブルース・ドラム・ソロについてはいかがでしょうか?
ソロだったら、Odie Payne, Jr.を聴くんだな。おれもソロは好きだが、しかしOdieはブルースの文脈の中で本当に正しいソロを叩くんだ。ブルース・ソロは彼から学んだよ。多くのドラマーがソロをとらないが、Odieはやるんだ。
あなたがドラムを始めたのはいつのことなのでしょうか。
1959年、Dusable高校でのことだ。私は読譜と、演奏と、ビッグバンドでのパフォーマンスを学んだ。生まれはMississsippiのMeridianなんだ。その頃はたらいとか、バケツとか、そんなものでやっていたがね。バケツでビートをキープするくらいのことさ。はじめてプロとしてお金をもらったのは、Otis Rushとの演奏が最初だね。
あなたをブルース・ドラム史学者と呼んでもいいでしょうか?
それはクールだね。ああ。私は誰かが、言葉や情報を生き長らえさせなければならないと思っているんだ。ブルースは我々の遺産だ。よその国の人々が、アメリカ音楽で最初に世界に貢献した音楽は何か?と探しに来た時、彼らはブルースに行きつくだろう。
ブルースは、最も高く、強い存在として屹立している。黒人の物語を詩と歌の中で語りながら。私からすれば、地球上で最強の音楽だ。ブルースは真実だ。もっともかんたんな言い方をしよう。ブルースは真実だ。Amen.
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