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Daddy Rabbit interview

――あなたの名前を教えていただけますか。フルネームで。

フルネームかい? Coleman Jr. Pettis。

――P-E-T-T-I-S?

そう。

――なんと呼ばれていますか?

連中にはDaddy Rabbitと呼ばれているよ。

――Daddy Rabbit。OK。グループ名も教えてください。

Magic Slim & The Teardrops。

――あなたはリード・ギターを弾くのですか?

あー、リードも弾くけど、ほとんどはコードだね。リズム・ギター。

――何年演奏してきましたか?

25年やってきたよ。

――おお~。シカゴには何年いますか?

シカゴにはもう22年いる。

――もともとはどこの生まれで?

AlabamaのMontgomeryだね。

……シカゴに来たときはベースで始めたんだ。Little Walterのバンドで。

――おお、本当に?

うん。時々呼ばれてJimmy Reedの後ろでも弾いたし……まあ、Chicagoのすごいバンドとは大体やってきたよ。

――なるほど。どうやってギターを覚えたのですか?

最初の時はね、母が教えてくれたんだ。母もギターを弾いたから。

――ええ、本当に? お母さんもブルースを弾いたんでしょう?

ああ、そうだね、うーん、あの頃そんなギターも弾いたけど……電気ギターはなかったからね。大きなホロウの……「箱」ギターでね。そう。

で……当時母が、いくつかコードを見せてくれたりとか、そのくらいだったけどね。本当にのめりこんだのはね、バンドをやったりとか……そのときAlabamaで働いてたから……Alabamaの学校(バンド名かも)で、教会で演奏して楽しませるような仕事をもらったんだよね。

当時バンドに3人いて、俺たちは教会のパーティで25セントもらってやったりとか(?)……楽しかったけど、Chicagoに来てからだな、本当に音楽をやり始めたのは。


At Josephine's Lounge, Chicago, Illinois, part 1; music by Magic Slim and the Teardrops, interview with Daddy Rabbit (Coleman Pettis Jr.) | Library of Congress

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