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Billy Boy Arnold-Harmonica Masterclass(途中まで)



  俺の名前はBilly Boy Arnold……つまりブルースしか歌わない、って意味だ。これからブルースハーモニカについて話そうと思う。はじまりから今日に至るまでの歴史をね。

 ブルースのはじまりにおいて使われた楽器っていうのはふたつしかなかった。一番にピアノ。そしてギターがやってきた。その時はエレクトリックじゃなくてアコースティックギターだ。ギター弾きもハウス・パーティにやってきては演奏するようになった。そう、その頃のブルースには二つの中心的な楽器があって、ピアノが一番、ギターが二番だった。

 ハーモニカが目立つようになるのは一九三七年のこと……John Lee Williamson、Sonny Boy Williamson、つまりオリジナル・Sonny Boyが"Good Morning Little Schoolgirl"をRCAのBluebirdレーベルで録音したときだ。これが、ハーモニカが歴史を作った地点だね。

 "Good Morning Little Schoolgirl"はスマッシュ・ヒットだった。アメリカ中でうけたんだ。じっさい、Big Joe Williamsが言うにはSonny Boyは当時のブルース・シンガーの全員の録音に参加してたって話だ。"Good Morning Little Schoolgirl"を作った時に、彼はその頃の全員を超えちゃったんだな。

 "Good Morning Little Schoolgirl"がどれだけ人気だったかっていうと、Muddy Watersもハーモニカをやろうとしたし、Jimmy Rogersも、Eddie Boydもハーモニカを吹こうとしたんだ。そのくらい彼は特別でオリジナルだったから、みんなそれに乗っかろうとしたんだ。これが当時起きたことだよ。

 そしてほかにも、二人の素晴らしいハーモニカ・プレイヤーがいた。当時はレコードには登場しなかった人たちだ。一人はRice Miller……Sonny Boy No.2と、もう一人はBig Walter……Walter Hortonだ。たしかBig Walterがレコードを作ったのは1938年のことだな。おれがそのレコードを聴いたとき、誰だかは知らなかったが、ふつうのハーモニカ吹きじゃないことはわかった。誰だ? このハーモニカ吹きは? すげえ、って言ったもんだよ。それでBig Walter Hortonだったってことがわかったんだ。

 でもRice Miller、Sonny Boy No.2はまだレコードを作ってなかった。実際彼はJohn Lee Williamsonの親友で、Jackson,Tennesseeの彼の家に遊びに行っては……John Lee"Sonny Boy" Williamsonは一九三八年ごろの数年はHelena,Arkansasに住んでた……だからどこでその二人が会ったのかは知らないけど、とにかくいい友達になって、"Good Morning Little Schoolgirl"を作ったころにはRice Millerは彼の家によく訪ねていた。

 まあ、Sonny Boy Willamsonがハーモニカをブルースの三つ目の楽器にしたんだ。

 新しくシーンに現れたハーモニカ・プレイヤーは若いやつで、Marion "Little Walter" Jacobsだ。Little Walterは一九四七年にシカゴに来て、Sonny Boyに会った。Sonny Boyは彼に「お前は速く吹きすぎだ、速すぎだよ」と言ったみたいだが、Little WalterはSonny Boyを模倣していたし、影響を受けていた。でもLittle Walterは自分のテクニックを持っていたんだな。Little Walterの手で、ハーモニカはブルースの二番目の楽器になったんだ。

 おれがブルースのレコードを聴いたのは六か七歳のころで、当時の最新のブルースはたいがいRCA VictorのBluebirdレーベルから出ていた。Doctor Clayton、Memphis Slim、Sonny Boy Williamson、Memphis Minnie、Big Bill Broonzy、Jazz Gillum、Arthur "Big Boy" Crudup…Roosevelt Sykes…そのころの偉大なブルース・シンガーだ。黒人の聴衆に向けた現行のレコードだね。ほとんどの黒人のリスナーは78回転盤ばかり聴いていた。それで……おれが初めてブルースのレコードを聴いたのは一九四一年くらいのことで、俺は六歳だった。そのなかでも特にSonny Boy Williamsonだった。ハーモニカを吹いてるということもよく知らなかったけど、おれは彼の音も声も、曲も好きだった。とくに"Mattie Mae"と"Coal And Iceman Blues"なんかね。

 レコード屋に行って、Sonny Boy Williamsonがあるか訊いたんだ。すると最新の、"Polly Put The Kettle On"と"Lacey Belle"があった。それを買って帰って練習してると、親父がおふくろと話してて、「こいつならこないだClub George(?)に来たぜ」と言ったんだ。それを聞いて「ええ? Sonny BoyってChicagoに住んでるの?」と訊くと、やつがClub Georgeに来て歌い出したら、みんな「Hey, Sonny Boy, Hey Sonny Boy」ってはやして金を投げてたんだよと答えた。それでSonny BoyがChicagoに住んでることがわかった。

 それからというもの、ハーモニカの吹き方を学びたい、っていう気持ちがどんどん強く燃え上がってね。それでもっとSonny Boyのレコードを買ったんだ。そのころ街中のレコード屋に、八か十タイトルのSonny Boyのレコードが置いてたから、買えるだけのレコードを買い込んで練習したんだ。

 ある土曜におれはGiles(?)の三十一番通りにあったおじの店で働いていた。するとギターを持った男が通りがかったんで外に走り出て、「ねえ、ねえ、Sonny Boyって知ってる?」と訊いたら、「ああ、知ってるよ」と、Sonny BoyがGiles(?)の三二二六に……その肉屋のたった一ブロック隣に住んでいることを教えてくれた。それでまた駆け戻って住所を書き留めたんだ。

 勇気を出してSonny Boyの家を訪ねると彼は留守だった。次の週にいとこを連れてもう一度行ったけど、やはり留守だった。それで、毎週土曜日にいとこと友達をもう一人連れてショウに行こうと言ったんだ。Sonny Boyの家に行った後、ショウを観に行こうってね。するとふたりとも「いやいや、ショウに行ってからSonny Boyの家に行きゃいいじゃないか」と言う。まあその土曜は映画が四時に終わったあと、三三番通りに足を向けて、Sonny Boyの家に歩いたんだ。俺たちはSonny Boyに会ったこともなかった。で、ベルを鳴らすと、とても肌の黒い、洒落た服を着た男が出てきた。髪が多かったな。彼は「どうかしたかね」と訊くので、「Sonny Boyに会いたいんだ」と言うと、彼は「俺がSonny Boyだよ」と答えた。ハーモニカを聴きたいといったら、「入りなよ、皆んなで来てくれて光栄だよ」と彼は応えた。

 Sonny Boyにいった。ハーモニカに「wah wah wah」って言わせるにはどうするのか聞きたいと。おれはダブル・リードやクロマティックのハーモニカをたくさん持っていたんだけど、Sonny Boyはそれを見て笑った。そうだ、「あんたのハーモニカを見せてよ、Sonny Boy」と言ったら、彼は奥さんに「俺のハープどこだ?」と訊いた。コートのポケットに入っていた。とりだされたふたつのMarine Bandはよく使い込まれていたよ。彼はMarine Bandを吹いていたんだ。

 そして彼はどうやってchokeするか見せてくれた。今は音をbendすると言うけど、当時の黒人はみんなchokeって用語を使っていた。そしてハーモニカをchokeすると(9:14〜)こうやってchokeするとブルースのサウンドが得られるんだ。Sonny Boyはおれにchokeのやり方を見せてくれた。

 おれはSonny Boyに「あんたみたいに演奏できるよ、レコードみたいに」といった。彼はレコードをかけてくれて、おれはそれに合わせて吹いた。chokeはできなかったけど同じ音が出せてると思ってたんだ。俺が全部の歌詞を憶えてるのを見て、「おまえ俺よりうまくなるよ」と笑ってたね。

 彼はchokeのやり方の説明に戻って言った。「ハーモニカをchokeするには舌を1番と2番の間に置くんだ(9:52〜)そして吸う」

 ……こうして俺はブルース・ハーモニカをはじめたんだ。おれにブルースをやりたくさせたのはハーモニカで、俺はSonny Boyみたいになりたかった。Sonny Boyみたいに演って、歌いたかったんだ。

 (10:10〜"Urban" blues 演奏)

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