スキップしてメイン コンテンツに移動

Phil Guy-"It's A Feeling"

https://youtu.be/5CbukRgbszA?si=noPxATEFbwqhOTk2




 …腰まげて綿を摘まなきゃならない。膝をついて摘むやつもいたけど。おやじにはよく怒られたよ、日に百ポンドの綿を摘めなかったからね。やろうとはしたけどできなかったんだよ。向いてないからほかのことをやろうと思ったんだ、小作人(シェアクロッパー)になるつもりもなかったし。で、ギターにはまっていったんだ。


 (Ain't That Loving You/Jimmy Reed)


 …俺がギターを始めたのはLouisianaのLexwoodにいたころだね。小さい田舎町だ。おれといとこでよくLevy(?)に飛び入りさせてもらった。あいつは当時はハーモニカを吹いてたけど今はギターだ。当時はエレクトリックギターを持ってなかったから欲しくてね、このピックアップが付いたやつが。で執着してたわけだ、アンプにつなぐとすごくいい音がして……これまで聴いた中で一番いい音がね。まあなにしろそれしか聞いたことがなかったから。それから初めてのグループに入って……〇〇の。あいつはハーモニカ吹きでひとつは口で、もうひとつを鼻で吹くんだ。ほんとだぜ(笑)それで夕方の四時とか四時半になると俺たちはこんな感じのを演奏してたんだ。


 ……Yeah,今夜はBig Papaがこの町に来たぜ、これから俺たちはRockhouseをロックするぜ。…これはよくやってたクラブの名前だよ。毎週金曜土曜日曜にね。野球の試合の後はみんなで集まるのさ。騒いで、ブギーしてね。Hound Dogもこんな感じでやってたもんだよ。…ハハハ、こんな感じで楽しくやってたんだ。ギターを覚えながら、いとこと一緒にやったり、ときどきは坐って、何がどう変化していくかとかを見て…おやじにもBuddyとおれがやるところを観てほしかったけどね。おやじが俺たちの演奏を観ることはなかったんだ。

 

 ……これは夜通し出歩いても明日食べるものも手に入らなかったようなときの歌さ。

 (Garbage Man Blues/Phil Guy)


 ひとは勘違いしてることがあるね。ブルースは誰かが誰かの嫁さんを撃ったりするようなもんだと思ってるやつがいるけどそんなんじゃないんだよな。それは違ってて、それは昔から語り継がれてきたストーリーなんだよ。そんな風な問題にぶつかったときブルースを感じたりするんだけど。ブルースはフィーリング(感情)なんだよ。自分の奥深くで共感してしまうようなね…。

コメント

このブログの人気の投稿

翻訳:James Brown Taught Bootsy Collins To Play On The One(2010)

James Brownに「出来てない」とか、「お前は弾きすぎだ」とか言われてたことを覚えてるよ。 でも弾きすぎてたわけじゃないんだよ。ただ、Oneをプレイしてなかったんだ。 Oneをプレイしてないなんて俺自身は気づいてなかったんだけどな。バッチリだと思ってたぜ。(笑) でもJBは、「ああ、もう、お前な…ダメだ。」(マネしながら)俺はどこに行ったって、みんなに「お前、やべーよ!」って言われてたのにだぜ。 その当時のベースっていうのはこういう感じだったからな。(実演:3:35~。2・4の指パッチンをちゃんと聴いておきたい) なんてことないだろ?だから俺はいろいろほかのこともプレイしてたんだよ。 でもJBは「ああ~!!全く!! Give me the one!! oneをよこせ!oneを寄越せばほかに何やってもいいから!!」というんだ。 それで俺はわかりはじめたよ。「ああ。oneがあればほかのことやってもgreatになるのか。」 「そうだよ。oneを寄越せ。そうしたら全部良くなる。」 それで(oneを使ったプレイを)始めたわけだけど、それがきっかけだったんだ。James Brownこそが、最初に俺に「Son,you need to give me the one.」と言った人だったんだ。 彼が自分の言っていることをわかってたとは思ってないがね。意味は分かってても、そのパワーまでは知らなかったと思う。 oneは俺の人生まで変えちまったよ。oneがわかって、始まったんだ。それからParliamentやFunkadelicにもoneを持ち込んだよ。ファンクっていうのはoneなんだよ。 Source:  https://youtu.be/1WWDWdo0E4Y

翻訳:Fred Below インタビュー

プロのドラマーとして活動し始めた時の背景を教えてください。  40年代の初めごろ、DuSable高校に通っていた時、Johnny GriffinやEugene Wright(のち、The Dave Brubeck Quartet)とよく演っていたんだ。 同じ学校に通っていたからね。その時はトロンボーンを始めたのだけど、あまり向いていなかったからドラムに転向したんだ。  私の若いころ―というかもっと小さいころ、まさしく音楽に囲まれて育ったよ。30年代の初めごろは、子どもながらにVendomeやRegal TheaterやMetropolitanみたいなところに通っては、最高の黒人ビッグバンドを観たものだった。彼らはよくシカゴに来ていたからね。 高校に入るときに、Chick WebbとGene Krupaを観てドラムにすごく興味を持ったんだ。Cab Calloway と Billy Eckstineのバンドも観に行った。彼らは本当に俺を目覚めさせたね。 ドラムはArt Blakeyでしたよね?  そう。Art Blakey。まったくEckstineは凄い奴らを大勢抱えていた。彼らを聴いているとやろうという気持ちになったし、さらに興味も沸いていった。 俺は幸運にもそれぞれのメンバーを観て聴くことができたものだけど、なかなか今どきあんなバンドは見れるもんじゃないよね。Regalなんかに行っては、2、3回分のショウをぶっ続けで観たりしたよ。  今でも思い出すけど、私が卒業する直前にBilly Eckstineを見に行った時、彼は自分のビッグバンドを解散してソロになる直前だったんだ。 それはシカゴ公演最終日だったから、DuSable、PhilipsやEngwood高校の生徒が劇場に詰めかけていた。Billy Eckstineがステージに上ったとき、彼らは演奏を止めた。照明がついてみると、劇場は子供で満杯だったよ。子供を追い出すために3校の教師まで来ていたくらいでね。なかなかとんでもないことだったね!ビバップ前夜の話さ。(この段落自信なし) Chick Webbを観たときあなたは何歳だったのでしょうか?  10歳は超えていなかったね。 観て、感銘は受けたのでしょうか?  うーん、まだ音楽をやることに興味は持たなかったと思うけど、好きだったね。やっぱりBilly Eckstineに...

翻訳:Alabama Jr. Pettis(Daddy Rabbit) バイオグラフィ

生:一九三五年 没:一九八八年 四月 熱心なブルースファンなら、Alabama Jr.(Daddy Rabbit) Pettisの名はMagic Slim & The Teardropsに七三年から八三年の十年にわたって在籍したメンバーとして記憶しているだろう。Alabama Jr.はTeardropsのかすがいとして、Magic Slimのドライヴするギターと、Nick Holtの脈動するベースを、ていねいなバッキングでつなぎとめていた。Coleman Pettis Jr.(彼の本名である)は三〇年代半ばにアラバマで生まれた。八歳のとき母にギターを教えられ、子供時代は練習したりしなかったりする日々がつづいたという。手頃なギターがなかったとき、かれは長い棒に荷造り紐の両端を結びつけて、とにかく音を鳴らしていた。十代になる頃には、フィッシュ・フライの店で演奏するようになった。最初はソロで、それからもう一人のギタリストを加えてデュオで演奏し始めた。一晩で合わせて五ドルの稼ぎだった。一九五二年、彼はシカゴに移住した。そこで彼は最終的に「シカゴ・ブルース」の基礎を作り上げる、数々の素晴らしいミュージシャンと出会い、共に演奏するようになった。シカゴに到着したとき、Alabama Jr.は熱心にクラブに通った。もっとも熱いブルースが演奏される場所を見つけたらすぐに赴き、ただ聴くために。一九五六年まで、彼はLittle Walterのバックでベースを弾いていた。サウスサイドのたくさんのクラブで。そしてジョリエットでも一、二軒演奏する場所があった。Jr.が行っていたクラブの一つにTurner’s Loungeがある。彼がLee Jackson、Big Walter Horton、J.B. Hutto、Hayes Wareなどとともに演奏したところだ。Lee JacksonはJr.の大きな影響源となった。彼を励まして、ギターを続けさせたからだ。Little Walterのベーシストとしての期間を終え、彼はLee Jacksonのバンドで三年間リズム・ギターを弾いた。Tony's Blue Loungeという小さなクラブで。彼のおかげで、一九七三年には、Jr.は確かなギターの経験を積むことができていた。J.B. HuttoのDelmarkでの最初のレコーディング、「Ha...