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Ike Turner Interview(未完)

俺が始めたころはな、あー、B.B.はわかるだろう。あいつが教えてくれたんだ。B.B.King。一緒に育ってきたからね。それからあいつは家を飛び出してメンフィスに行った。あとでそっちに行ったときに再会したよ。ミシシッピのチャンバーズでプレイしてたところでね。それからやつがSun Studioに紹介してくれたんだ。


――あなたが共に育った音楽について少し聞かせてください。ミシシッピのクラークスデイルにいたころ、どんなものを聴いていたのですか?


Sonny Boy Williams(ママ)と、あー……


――子供のころに聴いていた音楽について、改めて伺ってもいいですか?


 ガキの頃に聴いてたのは、Sonny Boy Williamsと、Pinetop Perkinsだ。彼のプレイに一番影響を受けたね。彼がピアノを弾くのを窓越しに見たもんだ。人間の指があんなに速く動くなんて信じられなかった。そういうわけで、おれはピアノに興味を持った。そしてついに、Pinetopが窓越しに俺を見つけて、入れてくれたんだ。でも、ガキが遠慮して、ドアから入るんだか入らないんだか、ってうろうろしてる感じってあるだろ。それで最終的に、Pinetopが左手はどう弾いてるかってのを見せてくれたんだ。まったく俺は彼のピアノにほれ込んでたからね。まあ、とにかく、そうやって見せてくれるようになったわけだ。

 それから、あー、何週間かあと、あー、たしかそのころ、PinetopとSonny Boy Williamsonはアーカンソーのヘレナで番組を持ってたと思うんだけど。局の周波数は忘れちまったが……とにかく、おれたちはそのころRobert Nighthawkに会ったんだ。あー、彼もSonny Boy Williamsみたいに大会に出てたからね。ま、とにかく、Robert Nighthawk、はクラークスデイルのWROXラジオ局で番組を持ってたから、おれたちはアンプとギターを運んだりするのを手伝ってたんだ。音楽を近くで聞くだけのためにさ。わかるだろ。それで、あー、おれが音楽に本当に関心を持ったのはこういういきさつだ。


――そのことのラジオについてすこし聞かせてください。五〇年代はじめ、あなたがWROXで番組を持っていたころ、白人の局と黒人の局はそれぞれ何を流していたんですか? はっきり分かれていましたか?


 分かれてたかって、Man? ……そうだな。……おれはクラークスデイルのホテルでエレベータを動かす仕事をやってた。Robert Nighthawkがやってた局と同じ建物のさ。とにかく、その局にはJohn Frisellaっていう白人のディスクジョッキーがいたよ。そいつが流してたけど……いや、違ったっけ。

 まあとにかく、その頃流れてた人気のグループってのは、Jimmy Liggins、Joe Ligginsか。とか、そういう古いやつでね。とにかく、俺が覚えてる限り一番古いのは、Lena Horneだね。「Stormy Weather」を出したあたりなんかの彼女は、まあ俺にとってのアイドルだった。彼女が大好きだったんだ。まあ、とにかく、そのJohn FrisellaってDJは、ターンテーブルを二つ持ってて、学校帰りの俺に、彼が回すところを見せてくれるようになったんだ。最終的には中に入れてくれて、レコードを触らせてくれたりして、「OK,これが止まったら、こっちを流すんだ。こっちが止まったら、あっちを流すんだぞ」なんてことを教えてくれたんだ。子どもとしちゃ、そりゃ楽しかった。でも、あるとき、彼が通りを渡ってコーヒーを買いに行ってる間、俺がブースにひとりでいるところをマネージャーにとっつかまっちゃってね。まあ、彼はどやされたりはしなかったと思うけど。

 それから俺はコマーシャルなんかにも出されるようになってね。ラジオ局のやりかたなんてのを教えられるようになった。それと、連中はRobert Nighthawkの枠を一日あたりプラス十五分伸ばした。あと、俺が学校からあがると、立ち寄らせてくれて、三十分レコードをただかけさせてくれるようになった。でもおれはRoy Miltonばっかりかけてたよ。昔話だが、思いだせるのはこんな感じかな。四、五十年も前の話だぞ? ともかく、Roy Miltonのことは憶えてるよ。MGMレーベルだったから。当時彼らはSpecialtyレーベルを持ってたんだ。アーティストはあんまり憶えちゃいないが……何しろ昔だからな。


――この番組を見ている若い人たちに、白人の局と黒人の局がどう違ったか説明してくれませんか?


 OK。たとえば。黒人の局は、あー、あー、あー、ブルースっぽいのをよく流してたよ。こんな風に(ピアノを弾いて)「♪I don't want no woman, if I have ain't no love in mind. I don't want to woman, if I have ain't no love in mind, and she keep you buying wretched wigs all the time.」なんて具合だな。

 たいして白人の局はというと、(またピアノを弾きながら)「♪All jump up and when you come down, swing that pretty girl round and run.」って感じだ。マジで。Steel Guitar Ragはわかるだろ?でも、とにかく、信じられないかもしれないけど、俺が好きなのはカントリーなんだ。でもその頃やってたのはそういうものだったんだよ。それから、Amos Milburns(ママ)がいて――そう、Amos Milburns。「Bad Whiskey(ママ)」をやったやつさ。いま、これを聴いている人たちみんなが知ってるかはわからないけど。まあとにかく、(黒人局と白人局で?)音楽は結構違っていたんだ。そういう時代でね。

ソースはこちら


https://openvault.wgbh.org/catalog/V_95E81A2148D64AF1ADC4F2CBBFA31B21

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