おれはミシシッピのバイハリア(Byhalia)の生まれだ。(1926年10月30日)おやじのAmosはギタープレイヤーだった。おふくろのMaryもちょっとはやったけど、うちの周りで演奏したくらいだったね。おやじはそのへんの家のパーティなんかに行っては演奏してた。そういうのを当時「フロリック(どんちゃん騒ぎ)」といったんだ。
おやじはオールドなツー・ステップ・タイプの音楽をやっていた。そういう音楽のことを「ロンプ」と呼んでいたよ。おやじはBlind Lemon Jeffersonとか、Big Bill Broonzyとか、Lonnie Johnsonみたいな感じでプレイしていた。ヴェスタポル(オープンD系)チューニングにしてね。おれたちはいつもおやじが演奏するのをすわって熱心に見ていたんだ。でもギターは持ってなかった。そうでなきゃおやじと一緒にできたのに。でも持ってないもんだから、おやじのやるのをひたすら見て、ギターが置かれたらおれたちがつかみにいくって調子だった。ギターで遊んでるとよくケツを叩かれたもんで、もしそのたびに金が降ってきてたら今頃演奏の心配することもねえだろうな。(笑)
弟とおれはいつも教会で歌ってたんだ。バプティスト教会で何人かと。大合唱団って風情ではなかったね。あんまりそれで影響を受けたとは言えないね。でも、その辺にはちょっとはプレイできる奴らがいて、The Sesserly Brothersなんかはシカゴのストリートでやってるような音楽もやれた。まあ、でも、ガキがうろついてるだけみたいな感じだったね。おれはカントリーをいつも聞いてたんだ。土曜の夜にね。The Grand Ole Opryって局にはBill Monroe、Roy Acuff、Eddy Arnold,Grandpa Jones、Minnie Pearlみたいな連中がたくさんいたんだ。なにぶんラジオしかなかったから、そういうのにインスピレーションを受けるしかなかったわけだな。おれはスウィングもそれはよく聴いてたけど、それがメインって感じじゃなかった。俺はほとんどいつも、おやじが演奏するのを聴いてたんだ。
俺たちは1942年にシカゴに来た。おやじが白人に追い出されたからな。地元にはおやじのおやじから継いだちっちゃい土地があって、それでまあなんとかやってたんだけど、あのトラクターってののせいで全部ダメになってね。たかがトラクターでだぜ。おやじには白人のご近所がいて、すごくいいやつだった。うちの土地の下に住んでるやつでね。そいつはトラクターを持っていた。おれはいつも上って遊んでたもんだよ。古いJohn Deereのトラクターだった。おやじは豚と、鶏と、七、八頭の牛を飼ってた。豚はたくさんいたよ。毎年絞めるときはその白人が来て、さばいたり洗ったりを手伝ってくれた。それでおやじも肉とか、鶏とか、牛乳を分けてやってたわけだ。乳牛がいたんでね。そのころおやじはメンフィスで牛乳を売ってたんだ。そうとううまくやってたんだけど、農家としては、あのトラクターってやつを友達から買ってからトラブルに巻き込まれるようになったんだ。その友達はそんなに高い金はとらなかった、本当に仲が良かったからな。
うちからもっと下のところにもう一人白人が農場を持っていた。もっと遠くだ。そいつが来て、おやじと友達になった。で、トラクターが必要だというんで貸してくれないかといいだした。親父は「俺が使ってないときはいいよ」って言って、やつが来た時に貸してやってたんだ。さて、町の反対側に、もう一人男がいた。いつもあちこちうろうろしてるようなやつだった。それでそのトラクターを見たわけだな。親父の友達と、そいつが町で会って、こんな話をするわけだ。「Amosが貸してくれたんだ。これでうちの土地を耕せる」だか、そんなことをな。で、そいつが、町でおやじに寄ってきて、「なあ、あのさ、あんたのトラクターを使わせてくれよ。畑を耕すのが遅れてるんだ」とかな。それがすべてのはじまりだ。
こいつが貸せって聞いてくるとき、毎回おやじはトラクターを使う用事があった。そいつはふざけたことを考え出した。つまりおやじは自分には貸してくれないくせにほかの白人には貸してるんだとかそういうことをな。一、二週間後に、おやじは町で飲んでた。黒人は通りの片側、白人は反対側、って感じで分かれてたんだ。黒人はいつもでっかい木の下で飲んでた。その近くで酒を買ってはその木の下にきて飲んでたんだ。おれたちはときどきおやじと一緒に来たけど、あんなクソ大木の下で立ってるなんてのにはあきあきしてたよ。(笑)まあとにかく、白人の連中も飲んで楽しくやってたんだが、問題の男、こいつは深酒をするやつで、そのとき通りのこっち側に来たと思うや、おやじにトラクターの話をしはじめた。「月曜か火曜に使いてえんだ」で、おやじは、「だめだ、俺がつかわにゃならんから」といった。おやじは寡黙な男だが、そういう時にだまって耐えるような人じゃない。相手が白人だろうが黒人だろうが関係なしさ。
それでそいつは二言三言何とか言って通りの向こうに戻っていった。それからもっと飲んだころ、なにやらバットみたいなものをもってまたやってきた。それでまた言い出した。おやじは、「だめだ。俺が使うんだから。」といったんだけど、そいつはなんでだという。「なんか俺に思うところでもあんのか? なんで俺には使わせないんだ、ほかの白人には貸すくせに」というわけだ。おやじはいったよ、「誰が使おうが気にしないけど、おれが使うときは誰だってだめだ」そいつは飛び上がって、「俺に偉そうな口ききやがって」ときた。おやじは、「あんたに偉そうな口きく必要なんてねえよ。とっとと通りの向こうに帰るんだな」そいつはとびあがって、おやじの肩をバットで打った。おやじはそのときワゴンのそばに立っていたから、その中の角材をつかんでそいつの頭を打ち返してやった。のしてやったわけさ。ただちょっと切っただけで、そいつは別段問題なかったはずだが、その場にいた黒人はみんな、おやじをどっかに逃がしちまわないとならなかった。みんなでメンフィスに連れ出したんだが、誰かがその辺でおやじを探してるやつがいると聞いたんで今度はシカゴに放り込んだ。
俺たちがこっちに来て最初は、おばさんの家に厄介になったんだ。家にはピアノがあった。たぶんおばさんが引っ越した時からあったんだと思う。少し弾けたんだ。俺の兄弟のCurtisはピアノで遊んだりしてたな。俺の一番上の兄貴のBobはハープをやった。John Lee Williamsonにでかい影響を受けてたんだけど、人前でやったりはしなかった。ただ自己満足でやってただけさ。楽しんでやってたけど、何一つ完璧にはできなかったね。俺たちはみんな楽器をやったけど、おやじはシカゴに来てからはギターをやめちまった。誰もおやじのスタイルでは弾いてなかったからさ。俺たちがシカゴに来たときはブルースなんてどこにもなかった。どこもかしこもスウィングだよ。Glenn Miller,Tommy Dorsey,Count Basie,Duke Ellington……みんなビッグバンドでレコードを作ってた。Benny Goodman, Percy Mayfieldも出てきてたし、Nat King ColeやLouis Jordan、それにDinah Washingtonもいたやな。おれはそういう連中から刺激されたんだ。全部の音楽を聴いて、研究したかったんだ。そういうの全部からちょっとずついただけるようにな。
演奏で俺たちが影響を受けたのは下の階に住んでるご近所さんだった。二階くらい下だったのかな。その人の名前はLee Cooperだ(Chessでレコーディングしたシカゴのベテランギタリスト。Howlin' Wolf, Jimmy Witherspoon,Eddie Boyd, Big Bill Broonzy, Washboard Samと録音した)彼は素晴らしい人で、俺とLouisが演奏を始める大きなきっかけになったんだ。シカゴに来たばかりの時は彼が演奏するとは知らなかった。だから地下で彼がやってるのを見たときはふたりともそりゃ驚いたもんだよ。それでいつも窓から彼が弾くのをのぞいてたんだ。どうもこいつらは追っ払えないってのがわかったんで、とうとう中に入れてくれたよ。俺たちがそうとう演奏したがってるってのをわかって、呼んでは弾くところを見せてくれたんだ。Boy,俺たちが彼のギターを見てる間といったら、もう目玉が飛び出さんばかりだったよ。あのいろんなパターンのスウィングというのがもうそれはエキサイティングだった。
「おまえらほんとに弾きたいのかい?」というんで、「やる」というと、「じゃあ何ができるか見せてみな」というから、おれたちはおやじみたいなやり方でちょっとかき鳴らした。「そりゃ違うな、それじゃコードになってねえ」っていうから、「あんたのギター、チューニングがおかしいよ」って。ヴェスタポル・チューニングと違ったからだな。(笑)おれたちはなんとかそれでやろうとしたけど何にも形にならなかった。ヴェスタポルだったらコードを押さえる必要がないからな。彼は言った、「こうだよ、ほらな? チューニングが狂ってなんかいねえよ」Louisとおれはどういうことかわかるのにめちゃくちゃに時間がかかった。「チューニングが狂ってるんだったらなんでこんなに良くサウンドさせられるんだ?」
とにかく、ある日言われたんだ。「おい、これから弾いて見せてやるから、二人とも練習してこい。それでどのくらいできるようになったか見てやる」そういってランを弾いてくれた。すげえランだった(降下フレーズを歌ってみせて)。God dawg!Louisとおれは言ったよ。「Man,そんなのできるわけねえって! Jesus,どうやってやんの?」すると、「俺くらいうまくできるようになるっていったらどうする? できるぜ。今日これを見せてやるから、ちょっとテストしてやる。今日からな。いいか?」そういって、「dit dit dit do do dah」っておれたちに向けて弾いてみせた。「いいか、聴いた通りに覚えてくるんだぞ。"dit dit dit do do dah"だ」俺たちは本当にゆっくりから始めてもらった。彼は言った、「うちに持ち帰ってやってみてくれ。早起きしてやってみるんだ。できるまで練習するんだぞ。そんなにむずかしいことじゃない」
俺たちはすぐにやりだしたよ。それでできるようになったら新しい部分、それもできるようになったらもうひとつ、っていうふうにやっていったんだ。そして最後のパートだ。四つ目のパート。その回では、彼はこういった。「よし、じゃあそれぞれちょっと速く弾いてみな。できるかぎりな。それぞれ少しずつ速く弾いてみるんだ」それで、俺たちはやってみたよ。その練習に意味があるかなんてわかんなかったんだ、Louisとおれは何度も言ってたよ、「こんなのをやってたらあのスウィングのやつができるまで何年かかるんだ」って。(笑)俺たちをからかってるんだってな。で、彼は言ったよ。「さあ、できたな。そしたら、これまでの四つを覚えただろう」「うん」「じゃあ、一つ目を弾いてみよう」そういって彼はギターを取って一つ目を弾いてみせた。「最初に見せたのはこれだったろう?」「うん」すると、「何をやってほしいかってわかるか? 今からやってもらうのは、一つ目から四つ目まで止めないで弾ききることだ。できるか?」といった。俺らは、「うん、知ってるからできるよ」といったよ。それでやってみたら、彼とおんなじように弾けたんだ。大興奮したぜ。二人で飛び跳ねて喜んだねえ。できるなんて思っちゃいなかったんだから。俺たちを引っかけてやらせたのさ。(笑)ふたりとも彼のことが大好きだったよ。
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