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Hubert Sumlin インタビュー


Howlin' Wolfにはこう弾けと言われていましたか?

いや。初めて会ったときには、俺は彼の音楽をやる準備がまだできてないって言われたんだ。それで一日、一週間、ひと月、一年、とにかく時間がかかるだけかけて考えた。「準備が出来たら戻ってこい。おれの曲のやり方がわかったら雇ってやる」と言ってたっけ。だから家で弾いたり(原文pray。祈った?)、ギターを枕の下に入れて寝たりしてなにかわかるまでがんばったんだ。だってWolfはマジだからさ。Wolfはウソは言わないんだ。


俺は八年か九年ぐらいはピックで弾いてたんだけど全然ものになんなくてね。でもある朝起きて、ピックなしで弾いてみた。初めに弾いたのは「Smokestack Lightnin'」だったかな。そしたらだんぜんよくなって、もうピックはいらないってわかったんだ。指がありゃ十分だってね。


ピックを捨てたらすべてがしっくり来たのですね。

そうさ。もっともっとソウルを込めてやれるようになった。もうピックは使わなかった。これが俺のカギだったわけだ。おれのトーン、おれのサウンドは、全部その時から始まった。みんな俺がどうやってるかわからないね。ふつうのギタリストにはやり方がわかんないんだろう。これは神様が俺にくれたもんだ。ピックはいらないよ。五本指があるんだから。一枚が五本に勝てるわけないだろ?

あなたのスタイルとして、コードを沢山は弾かないことが挙げられると思います。

そうだね。トリックはたくさんやるけど。Muddy Watersが前に言ってた通りだよ。俺は袖の下にたくさんギミックをそろえてる。そしてどこで入ってどこで抜けたらいいかわかってるって。沢山のギタリストがそのへんをわかってないね。俺はどこでどう入れてやればいいかわかってる。そこがすべてだよ。

あなたのトレードマークの多くはHowlin' Wolfと長い間プレイしたことから来たものですか?

イエスでありノー。俺は半年Muddy Watersとやったことがあるけど、Lord!Jimmy Rogersからはほんと多くを教わったよ。おれは一緒に仕事したギタリスト全員から何かしら盗むんだ。あっちでこの音、こっちでこの音。こいつからリックを盗んだら、あいつから別のリックをってぐあいさ。それを全部合わせるんだよ。そしたらHubert Sumlinスタイルさ。どんなギタリストにもおすすめしたいね。好きなプレイヤーを聴いてみんなから盗むんだ。

自分の楽器を最大限に使えるように勉強しよう。Eのやりかた五つ、Aのやりかたも五つといったぐあいにね。そうして全部つかうんだよ。ネックの全部を使えるようになったらうまくなってるってことさ。だから俺はMuddy WatersやAlbert CollinsやJimmy Rogersみたいにクランプ(カポ)は使わないんだ。なんで自分を制限する必要がある? 最近の子はクランプを使わないけど、それはギターについてもっと知識があるからさ。


あなたがブルースマンたちのなかでもユニークなのは、Chicago Conservatory of Music(シカゴ音楽学校)でギターを学んでいた背景が一つ挙げられると思います。そういった教育ではどのような幅のことを学んだのでしょうか?

おれはChicago Symphony Orchestraの古い人に半年間学んだ。オペラとブルースを両方ギターでやってのけるやつに会ったのはそれが初めてさ。でかいインパクトだったよ。ピアノの鍵盤も知らなかったし、譜面も読めなかったし。AからFもBからAもCからBも知らなかった。(コードチェンジの話?)その人は半年でたくさんのことを見せてくれたんだ。

Wolfとはエレキギターを弾いていたにもかかわらず、あなたのサウンドは少しカントリー・ブルースの雰囲気があります。音楽的にそれはどこから来たのでしょう?

じっさい、おれは子供の時はなによりCharlie Christianみたいなジャズ・プレイヤーになりたかったんだ。でもブルースを聴いてきたし、大好きだった。ブルースマン(のレコードか?)がまわりにいたからね。あるとき、そういうやつらがどれだけすごいかっていうのがわかったんだ。Charlie Patton、Lonnie Johnson、Robert Johnson、って人たちが。それにPeetie Wheatstrawの、「Devil's Son in Law」とかね。Jesus,man。彼はすごかったよ! その後WolfやMuddyとやるようになって、二人がみんなああいう連中とやってたってことに気づいたんだ。ぶっ飛ばされたね。Charlie Pattonの古い78回転盤のことは忘れられないよ。まるで魔法使いさ。man,天才だ。Wolfに彼のことを訊いてみたことがあるけど、「Aw,若造(you young punk)、若すぎておまえにゃわかんねえよ」って言われたよ。俺はいつもそういう古い人たちと会って一緒にやれなかったのが残念で仕方ないんだ。彼らのやったことをWolfとかMuddyが電気化して、広げていったわけだからね。WolfやMuddyがロックンロールのおやじだとしたら、さしずめああいうアコースティックの人たちはじいさんだね。

Wolfはあなたとの歳の差を意識していたようですね。

ああ。彼が死ぬ何年か前に、おれに「四十年早かった」といったんだ。「俺はラバと畑を耕した。十二月に、裸足でな。地面には雪が積もってて、泥が凍って岩みたいだった」と。「ウソつくない」って答えたよ。そしたら、「嘘じゃねえ。俺は四十年早く生まれすぎた。時代はよくなってきてるのに」と言っていたよ。その次の年には彼は身体を悪くして腎臓透析に入ったんだ。

あなたはデルタ・ブルースマンとロックンロールをつなぐリンクなのだと思います。一方で、WolfのようにRobert Johnsonらと同時代を生きた人とプレイしましたね。もう一方で、あなたとそう歳の離れていない、次世代のロックギタリストたちにも巨大な影響を与えました。

おれはそれを誇りに思っているんだ。そいつらとも会ったしね。おれは一九七〇年にWolfのLondon SessionsでEric Claptonと会った。もともといかない予定だったんだけど、Claptonが「Hubertがいないなら俺は録音しない」というし、Wolfが、俺がいないと録音出来ないと言うんで、俺もつれていかれた。Wolfはスタジオでも人工透析器につながってたよ。一日中医者が出入りしてね。相当体調が悪かったんで何晩かはレコーディングさえできなかった。そのあいだ、俺たちはただスタジオでハイになってただけだった。Mick JaggerとBill Wymanが入ってきて、夜通しパーティをやったんだ。翌朝掃除のねえちゃんが来た時にゃみんな床で寝転んでたよ。Mick Jaggerはベースドラムの中に頭を突っ込んでね。(笑)ありゃワイルドだった、楽しかったねえ。

Claptonとはずいぶん一緒に過ごしたんですか。

うん。ある日Claptonがリムジンをよこした。ロンドンの郊外を三〇か四〇マイル走ってあいつのいなかの豪邸についたんだ。お城みたいなゴージャスな場所さ。素晴らしいディナーをいただいたあと、地下につれて行ってくれたんだ。壁じゅうにギターがかかってまるで工場みたいな部屋にね。部屋のうち三面か四面の壁に、思いつく限りの種類のギターがかかっていたんだ。

彼は言った。「この中から何本か選んでくれ。このうちの二本あげるよ」おれは部屋を歩き回って、全部のギターを眺めた。すると、フロアの真ん中にこのケースが置いてあったのに気付いた。おれは床に座って、何が入っているのか訊いた。「何でもないよ,man」というんで、見ていいかい?と訊くと、「欲しくなるようなもんじゃないよ」ときた。おれはケースからきれいなフェンダー・ストラトキャスターを取り出して、床で弾き始めたよ。

あいつは、「Hey man,壁にかかってるやつならなんでも二本あげるって言ったんだよ」というんだけど、おれは「わかってるよ。でもこのフェンダーはいい音するね。これがメインかい?」って言ったんだ。「そのとおり」。おれはいったよ、そうだろうね、こりゃいいものだもの。って。「そいつを持っていくっていうのかい?」というので、「いやいや。この中の一本だって欲しいわけじゃないよ」と答えたんだけど、「いいよ、持ってけよ。少なくともそいつはいい持ち主を見つけたってことだろうし。でも僕が返してといったら返してくれよ」って言ってくれたんだ。

おれは二年間そのギターを持ってたけど、ほとんど弾かなかった。一度Montreaux Jazz Festivalで共演したときに返したんだ。いくら払ってほしいかって聞かれたけど、俺は「いらないよ。お前のギターなんだから。恥かかせないでくれよな」って。ただハグを交わしたよ。あいつはいいやつだ。ビューティフルな男さ。

Wolfとああいった傑作をレコーディングしていて、自分が歴史を作っているという自覚はありましたか?

いや。全然気にしていなかったよ。でもWolfが偉人の一人になることはわかってた。だから彼をトップに押し上げるために尽くしたよ。Wolfみたいに才覚がある人のためにレコーディングするとなったら、ベストを尽くさざるを得ないだろ。それに当時は疑問をさしはさむ余地なんてなかった。「おい、気合入れてやれよ」って感じでね。昔は腹が痛くなるくらい何も食べてないような日もあった。レコーディングするときにはそういう日のことを思い出したんだ。二度と戻りたくないってね。そしてプレイしたのさ!

Wolfとは個人的にどういう関係でしたか?

父と子みたいなものだった。ひどい喧嘩もしたけどね。歯をぶっ飛ばされたこともあるし、向こうのをぶっ飛ばしてやったこともある。問題なしだよ。いつも仲直りしていたからね。

Wolfと喧嘩したんですか? 巨大な人ですよね。

Oh man、あいつはでかいよ。俺のギターをつかんだら指一本でネックを三周するくらいにはね。あるギグのあと、トラックに機材を積み込んでるとき、おれはいなくなっちゃってたんだ。おれのアンプにずっと座って夜通し笑いかけてきてたカワイイ女の子を追っかけてたからね。戻ったらもう積み込み終わるとこで、Wolfはステージに立ってた。俺に向かってどなりつけてね。聞いたこともないような呼び方もして。おれの機材を積み込まなきゃいけなかったからさ。恥ずかしかったぜ。バンド全員の前でそんな調子で怒鳴られたんだから。

それで、こんなことされる筋合いはねえと思って、Wolfがよそ見してるところを狙ってぶんなぐってやったんだ。力の限りね。身動ぎもしなかったよ。ゆっくりこっちを振り返って、手の甲でひっぱたいてきた。ぶっ飛ばされて、アンプを積み込むためにステージに上がってたスロープのところまで転がったよ。起き上がって、叫びながらWolfに向かっていったらもう一回同じことをされた。またひっくり返って、歯がぶっとんだよ。

それでMuddy Watersのバンドに入ったのですか?

いやいや。すぐ和解したからね。じっさい、翌朝に妻が起こしてくれたとき、Wolfが俺の家の前に車を停めて一晩中待ってたって言ってたよ。出ると、Wolfは謝って、歯を治すための金をくれた。俺がMuddyのとこに行ったのはMuddyが三倍の給料を払ったからさ。あいつらはライバルだったからね。Muddyは俺をWolfから奪いたかったんだ。

そのライバル関係は皆が知るところだったのですか。

そう。お互い嫉妬しあってたんだよ。敵同士だった。「お前は俺のマネだ」「お前はこれをやった」「お前はあれをした」ってな具合で。二人ともシカゴの一番ビッグな奴らだからキリがない。いつでもどっちが一番か言い合って競い合ってたよ。(笑)あの日は忘れられないな。Ann Arbor Blues Festivalのとき、WolfとMuddyが座って語らい、友達になった日は。握手して、「もう敵同士じゃねえ」と言ったんだ。しびれたね。おれはビールを買ってきたよ。こういうことはいつでもあるし、それで死ぬ奴もいるけど、おれは全然その嫉妬っていうのがわかんねえんだ、音楽だよ? 誰が一番かなんてどうでもいいよ。

Jimi Hendrixについて何か憶えていますか?

あいつはただのイギリス住まいのちっこいやつだったよ。Experrienceでヒットする前、俺たちはBeatlesの地元のリヴァプールでやってたんだ。そしたらバンダナを巻いてイヤリングをしたヒップな男ーーJimi Hendrixがやってきた。Wolfはいったね、「なんだ、このクソは? こんなマザーファッカーに言うことなんてねえ」あいつは来て、彼のギターを弾いていいか訊いた。Wolfがうなずくと、ギターをひっくり返して歯で弾き始めた。Wolfは目を丸くして、「お前を雇う!」と言い出した。Jimiは、「けっこうです。Mr. Wolf。でも俺はあなたとブルースに憧れてます。あんたがたは百パーセント、ビューティフルだ。man。」と言ったよ。

それ以降あいつとやったことはない。でも売れてからニューヨークで観たよ。惚れ込んじゃったね。あいつはグレイトだ! やせた若者なのに。あいつは二十代だったけど、十六か十七くらいに見えたね。うまかった。ほんとに、うまかった。

Hendrixはしばしばあなたを大きな影響として挙げています。あなたはいくつかの50年代の録音で、ディストーションのかかったギターを弾いていますね。ディストーションを使うギタリストとしてはかなり初期の人だと思います。どうやってやったのですか?

俺はただ俺のGibsonとWabashのアンプを使ってただけだ。長いこと使ってるやつさ。15インチのスピーカーがついてる最初のアンプの一つでね。あとでEchoplexが出たときは手に入れて使ったよ。それを15インチのスピーカーに組み合わせて「ディストーション」とやらが生まれたんだな。

あなたはどのGibsonを使っていたのですか?

Les Paul--たぶん56年のだったと思う。よく弾いていたよ。Kayのギターも四年持っていたよ。Wolfのバンドにはピアノも、ベースすらいなかったから。ギター二人とドラムだけさ。だからJody Williamsとおれは二人のパートをよく合わせて、二人してKayを弾くことにしたんだ。おれはあのレスポールがあんまり好きじゃなかったんだよね。今じゃ持っておけばよかったって思うけど。(笑)


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