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翻訳:John Primer - "Blues Ain’t Nothin’ But the Mind"


CheckerboardでStonesとMuddyと共演したときについて最も印象に残っていることは何ですか?警察がファンをクラブに近づけないようバリケードを張っていたことが思い出されますが。


 何が起こっているのかよくわからなかったけど噂になってたな。Rick Kreher(ギタリスト)が、Stonesが登場するかも、みたいなことは言っていたけど。Mojo Buford(ハープ・プレイヤー)に、あいつらが街に来てる時はだいたい出てくるかもって噂されるけど、本当に出てきたことはない、ってな。でも、あいつらはLefty Dizzを観たがってたんだ。Lefty Dizz狂いだからな。

そういったうわさが流れていたわけですが、本当に現れましたね。驚いたことと思います。どう思いましたか?

 連中が入ってくるのを見たとたん、Oh, man.何が起きてんだ?と思ったよ。まったくパーティみたいになってたね。

あなたたちのようなSouth Sidersとは違った格好をしていましたね。取り巻きに囲まれ、ロック・スター然として。

 俺たちはバンドで演奏しながらMuddyをステージに上げたんだ。それからthe Rolling Stonesも上がってきたよ。連中は真ん中で座り込んでバーボンとウイスキーを飲んでたね。

ええ、ステージで飲むことは知られていますよね!そのCheckerboardでの共演はDVDドキュメンタリーにもなっていますね。

 ああ。俺も持ってるよ。greatなフィルムだね。

Stonesのシカゴ・ブルース・トリビュート、『Blue And Lonesome』についてはどう思いますか?聴いたことはありますか?

 ああ、CDを持ってるよ。Stonesだぜ、man!連中は自分のやり方でやっているんだ。greatなやり方でね。いいCDだよ。彼らのやり方は好きだ。あれ以上はないね。俺が同じことをやるとしたら、同じようにやるだろうね。トラディショナル・ブルースで、連中はやり方を知ってるんだ。

MickとKeithはMuddyのアルバムを通して意気投合し、Muddy Watersの曲からバンドの名前をとりました。彼らはブルースバンドとして始まったのですよね。

 そうかい?あれは、The Rolling Stonesだぜ!彼らは素晴らしいよ!

MickとKeithは『Chicago Plays The Stones』でプレイしていますね。ストーンズのメンバーから内容について感想などは聞きましたか?

 聴いてくれたようだね。連中は俺のことは間違いなく知ってるけど、連絡を取ったことはないね。連中はMuddyとやったやつは全員知ってるんだよ。

Soldier Fieldに彼らを観に行ったことはありますか?

 いや、ただLisa(妻でありマネジャー)は行ったよ。俺は娘と留守番をしていたけど。

Joseph Morganfield(Muddyの息子)がバックステージに行ったようです。Checkerboardの思い出話をしていました。彼らはシカゴ・ブルース・アーティストに常にリスペクトをささげていますね。

 ああ。間違いなくそうだね。

あなたはたくさんのことをMuddyから学んだと思います。大きな影響ですよね。何を学んだのでしょうか?

 おれは、スライドのやり方を学んだよ―正しいやり方をね!間違えて覚えるところだったんだ。おれは彼のギタープレイヤー、Sammy Lawhornに教えてもらったんだ。
 でももとはといえば、子供の時に、祖母の家に一本の弦を張ってdiddley bowみたいに弾くところから始まったんだ。うまくできなかったけど、あきらめたくなかったな。Muddy Watersのアルバムを聴いて、本当にやりたくなったんだ。
 おれはスライドのリックをMuddyから学んだ。ものすごく影響を受けたよ。見て、学んで、聴いたんだ。彼がやってることを理解したんだ。彼はカポを使うから、カポを使ったプレイも学んだんだ。同時に、カポなしでも全部のキーでやれるようにしたね。

Magic Slimからもたくさん学んだことと思いますが。

 ああ。たくさん教えてもらったよ。13年一緒にいたからな。

Magic Slimから教えられた一番の教訓は何ですか?

 時間厳守だな。ギグに間に合うには何時に家を出るかってことだ。

Slimがネブラスカに引っ越したときに、あなたは自分のバンドを組んだのですか?

 ああ、おれはいつもTeadropsと演奏していた。Checkerboardのときにみたいにな。そこにSlimが入って、出ていった。でも彼からはたくさん学んだよ。ギターでバッキングしているときに絶対に張り合うなとかな。一回やってみたら、机の下に突っ込まれちまったよ!それからは二度とやらなかったね。(笑)Blue Chicagoでのことだ。

Blue Chicagoであなたを見た人は、「このMagic Slimとやってるすごいギタリストは誰だ!?」と思ったでしょうね。

 Slimと俺はお互いに学ぶところが多かった。あいつも俺から学んだというと思うよ。俺はあいつから学んだしな。

相互に有意義だったのですね。

 ああ。13年間、何も問題が起きたことはないよ。彼が嫌がらせをすることもなかったし、口論もなかった。俺からケンカをすることもなかったしな。Slimのことはわかってたんだ。やつのやり方も、どんな奴かもね。Nick Holt(Slimの兄弟のベース)のこともな。

彼の息子、Shawn Holtはどうでしょうか?

 あいつは良いやつだよ。最初のCDで俺もプレイした。彼はgreatなミュージシャンさ。これから長い道のりだし、ビジネスについてはたくさん学ばなきゃいけないことがあるけど。でも素晴らしいやつさ。

何歳なのでしょうか?

 たぶん30代とかだよな。あいつのことは小さいころから知ってるよ。

彼や、ブルース・ミュージシャンになりたい人に対してアドバイスはありますか?

 やり続けろってことだな。辞めないことだ。ブルースをやり続ける。Yeah.Do your best.やってたらたくさんの競争があるけど、あきらめちゃだめだ。やり続けるんだ。
 本当にブルースを愛している奴もいれば、そうでもないけどブルースを聴くというやつもいる。でもそれでいいんだよ。好きなことをやり続けるんだ。そうしたらうまくなるさ。

(ベーシストのDanny O'Connerが入ってきて)

 このDanny O'Connerって若いやつを見なよ。こいつもMagic Slimと6年やってたんだ。俺のドラマーのLenny Mediaも、もちろん俺もTeardropsだ。この3人は、達人の一人、Magic Slimとやってたんだ!
 昔はBuddy GuyとJunior Wellsが一番のバンドをやってた。でもあいつらが決裂した後は、俺とMagic Slimが来て、その座を奪っちまったんだ!あのバンドには二人のスターがいたわけだけど、みんな俺たちのことも見て思っただろうね。「二人スターがいるってのは良いな。こっちは二人のすごいギターがいるぜ!」ってね。

あなたの経歴を見ると、若いスターとの共演もされているようですね。Gary Clark Jr.や、Derek Trucksです。彼らの音楽はブルースを土台にしていますが、いろいろな要素を含んでいます。

 ああ。彼らのやり方でやってるのさ。

本物のリアル・ディール・ブルース・アーティストから見て、、そういったブルース・ロックやブルース・フュージョンのバンドについてはどう思いますか?

 うーん、歩く前にまずは這って動けなきゃいけないよね。できるようになるにはね。彼らは若いけど、自分のやり方でブルースをやろうとしてるよね。もっとも一朝一夕でできることじゃないよ。でもまずはやろうとしなきゃね。歳を食ってくれば注意を払うようになると思うけど。でも彼らはよくやっているよ。ブルースを生きながらえらせているね。

でも、国籍や肌の色は関係ないのさ。プレイしていればね。それはブルースにとっていいことだ。俺たちはそれぞれ違うブルースや音楽を学んでいる。君がブルースに何かを足して、やりたいようにやって、それをブルースと呼んでしまうこともできる。まあでもそれだってブルースから始まっているのさ。でも彼らはそこに落ち着いてしまう。なぜならそれに打ち込んでいるからね。それは気持ちの中にある。ブルースはマインド以外の何者でもない。それはブルースにとって良いことだね。

それらのバンドは新しく、若い人々をブルースに呼び寄せていますね。あなたのようなリアル・ディールなブルースをやっていないにもかかわらず。

 彼らは、彼らのやり方でやってるからねえ。彼らのやるべきことをやっているのさ。その点では、責められないよ。

”リアル・ディール”なブルースの定義とはなんでしょうか?というのは、あなたのバンドの名前に入っているから伺うのですが。オールド・スクール・ブルースとか、トラディショナル・ブルースといったものですか?

 おれはただおれが学んだことをやっているだけだよ。つまりトラディショナル・ブルースだな。古い奴らがやってたことで、おれが作ったわけじゃない。40年代とか50年代にいた奴らだ。おれが学ぼうと思ったとき、そういう奴らがブルースを作り上げて、教えてくれたんだ。そんな創造はそれ以来起きていないよ。今、そういったものは聞けない。同じように鳴っている音楽はジャズ、ブルース、ゴスペルだけだ。

ルーツ・ミュージックですね。

 でもゴスペルすら変わっちまったね。ホーンなんか入れて。昔はアカペラでやってたんだぜ。

彼らの声が、彼らの楽器だった。

 ああ。だからおれは若い世代にはブルースを聴けっていうんだ。それは学ぶことができるし、得ることのできるものだ。まず基礎をたずねて、そこから始めなってことだ。

あなたは最新作『Soul of a Blues Man』で、スタイルのミックスを行いましたーブルースとソウルの。それはとてもユニークなことだったと思います。なぜならソウル・ミュージックでは、Aretha Franklin,Otis Clay,Tyrone Davis,Otis Reddingのようなアーティストは、皆歌を強調するので。ソウル・ミュージックはギターについての音楽ではないし、ハーモニカもありません。つまり、あなたはソウルの伝統を打ち壊したことになります。

 ああ。

あなたにとって、ブルースを歌ってプレイすることと、ソウルでそれを行うことの間に違いはありますか?それとも、同じように流れるのでしょうか。

 おれにとっては同じなんだ。おれはどんな音楽をやろうが同じフィーリングなんだ。ソウルでもブルースでもな。同じフィーリングを得るんだ。全ての音楽で。ただステージに上がってやろうったってそうはいかない。プレイするにはフィーリングが必要なんだ。そして、それを見つけられない人もいるよ。彼らはただ音を出して、指が動くとか即興ができるとかってことを見せて終わりなんだ。

テクニックですね。

 ああ。テクニックだな。でも必要なことを伝えるのにそんなに多くの音は必要ないんだ。要るのは2つか3つの良い音だけで。B.B.Kingや、Albert Kingや、Freddie Kingみたいにな。(笑って、イエーーースと言って)速く弾くのは構わない。問題ないさ。でも何をするにしても、じっくりやるんだな。

『Soul of a Blues Man』のコンセプトはなんだったのでしょうか。あなたの歌を聴かせるために、何か意識的な努力はしたのでしょうか?

 おれが彼ら(カバー元のアーティスト)から聴き取ったフィーリングと同じようにやったよ。おれは彼らじゃないが、自分のフィーリングを込めてやったんだ。

それに、あなたのアレンジではギターとハーモニカがありました。

 ああ。

そこが違いですね。あなたのブルースアルバムでは皆いつもあなたのギターの話をしますが、今回はあなたの歌の話をしていました。

 ああ、おれはどんなタイプの音楽も歌えるよ。

あなたのフェイバリットなソウル・シンガーは誰ですか?最も大きな影響は?

 いや、本当にお気に入りっていうのはいないんだ。全員偉大だからね。Bobby Blandも、Johnnie Taylorも、Tyrone Davisも、Al Greenも。

あなたの将来のプロジェクトについて教えてもらえますか。Bob Corritoreとの新しいCDも出ますが。どんなものを期待して待っていれば良いでしょう?

 シカゴ・トラディショナル・ブルースさ。たくさんの凄い奴らがプレイしてきたようなね。

Source: https://www.chicagobluesguide.com/post/john-primer-interview-part-2

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