あなたの人生、キャリアについて聞かせてください。あなたはミシシッピの生まれですね?
ああ。ミシシッピのBlackhawkだ。(笑)マジで小さい町でな。
(聞き取れない)
どのくらいの間住んでいたのでしょうか。つまり、シカゴに移り住む前は。
俺が生まれたのが…(咳払い)失礼。俺は49年にメンフィスに来た。それで3年くらいMemphis Minnieと住んでいた。あいつが俺にギターを教えてくれたんだ。
Memphis Minnieですか!それまでに他のブルースマンとやっていたことはあるのでしょうか。
ミシシッピのデルタでバンドをやっていたんだ。小さいクラブで演ったり…この部屋よりゃデカかったけどな(笑)(聞き取れない)でも全く金がなくてな。
それでは、ミシシッピでは有名なミュージシャンと共演することはなかったのでしょうか。
ない、無いな。メンフィスですらなかったよ。Howlin' Wolfもミシシッピのデルタの出身だけど、近所じゃなかったしな。(聞き取れない)ギターも何も持ってなかったし…だからMemphis Minnieのギターを借りてアーカンソーのウェスト・メンフィスの小さいクラブで演奏したりしてたんだ。「Hitmen」って小さいバンドをやっててな。それと「Cotton Pickers」。「Hitmen」と「Cotton Pickers」でプレイしたんだ。ッハ(笑)ウェスト・メンフィスあたりでな。
それから56年にシカゴに来た。
56年。
ああ、(聞き取れない)
Hound Dogとはいつからプレイしているのでしょうか。
57年だよ。ドラマーのLevi Warrenとな。それでギグして回っていたが…59年頃にTed Harveyと出会った。それから俺たちはHound Dogが死ぬまで一緒に住んでいた(正確に聞き取れない)んだ。あいつは76年に死んだ…いや!75年だな。悪い。75年だ。
Aligatorと契約する前はレコードを作ったことはあったのでしょうか。
ああ、Hound Dogと俺とLeviで「Cadillac Baby」ってやつを作った。それと「Take Five」だな。「Cadillac Baby」より先に出したんだ。ミシシッピ・シカゴの57番通りでレコードを出した。ヘッへへへ(笑)(聞き取れない)No money、no moneyだ。(笑)ラジオになんか乗らなかったからな。(?)
…ああ、それがHound Dog & Houserockersだ。Hound Dog Taylor & The Houserockersだな。あちこちギグして回ったよ。テキサスからカンサス・シティまで。昼の仕事もあったがな、必要なくなった(笑)
仕事を辞められたのはそれが最初ですか?
ああ…(聞き取れない)
仕事は何をされていたのですか?
工事現場だ。重労働だったな…(笑)それで、ある夜Hound Dogが言ったんだ。「Phillips。監督に言ってこい、ほかの奴に仕事をやれってな。もう重いもん運ばなくていいぜ。俺が面倒見てやるからよ」(笑)「楽しくやろうぜ、楽しくやろうぜ。一緒にブルースやって稼ぐんだよ」ってな。
それで…71年から75年にHound Dogが亡くなるまで楽しく過ごされたのですね。
ああ…まあな。たまにおかしかったけどな。Hound Dogには3回も撃たれたぜ(笑)
読んだことがあります。なぜそんなことに?(笑)
俺とHound Dogはよくケンカしたんだよ。ケンカ、ケンカ、ケンカでな。
それで3回も撃たれたのですか。
ああ!あいつはなんでも指図してきたんだよ、いつ寝ろだの、いつ起きろだの、何を食えだのって、気に食わねえよな(笑)。
それでケンカだよ。ギグに行きゃすぐケンカだ。
(笑)でも生き延びたのですね。
ああ…弾詰まりでな。最初に撃ったとき、あいつは俺をビビらせようとしたんだが、俺は動じなかったんだ。だから次は脚を撃ってきたんだ。次は肩。次は指。まだ弾が残ってるぜ。次は弾詰まりだったから、やつのライフルを掴んで放ってやったんだ。
ハハ…。タフですね。
ああ。まあ、あいつが倒れた時には駆けつけたけどな。
彼は病気だったのですよね。
そうだ。本当に病気でな。なんでかはわかってる。酒を飲みすぎるからな。飯を食わずに、酒、酒だった。(聞き取れず)
肺がんだったのですよね。
ああ、ああ。ギグに行く予定だったんだが、調子が悪いっていうんで連れてかれたんだ。あいつは戻ってこなかった。二度と戻ってこなかった。
あなたはJB Huttoともプレイされてますよね。
ああ。Hound Dogが死んだ後、〜JBとはかなりうまくやってたよ。あいつは自分のバンドが欲しかったんだ。JB & Nighthawksってな(ママ)。JB & Houserockersじゃ嫌だったんだな。その後奴はボストンに移住して、東海岸で自分のバンドをやってたよ。死ぬ前、3年くらい向こうに住んでたよ。死ぬ時には地元に帰って来たがね。
なるほど…。しかし、あなた方はここスウェーデンにツアーで来られましたよね。
ああ。ああ。やったよ。78年だ。
私もテレビで観ました。
ああ。JBと来たな。確かに。
あいつがボストンに行くまで、俺たちはうまくやってたよ。あいつは自分のバンドを欲しがったからなあ。HouserockersからNighthawksに改名したがったんだが、俺たちは変えたくなかったんだ。おれはいやだったんだ。Houserockersのままにしたよ。それで、JBの代わりにJohnny Little Johnを入れようとしたけどJohnも病気だった。今も良くないんだ。
良くないのですか。
ああ。どうもな…
…
80年代はどうされていたんですか。
Tedと俺は新しくピアノとベース弾きを入れたんだ。それでシカゴ周りのローカル・クラブでギグをやってたよ。Bruceってのは大物でな、わかるだろ、スタジオでも忙しくしてたし…カリフォルニアにもオフィスがあって、たくさんの人間が働いてた。だからローカル・バンドに割く時間がなくてな。TedがJimmy Rogers と仕事を始めたのもそういうわけだ。シカゴじゃみんなに知られてたからな。俺たちがいい仕事をもらうにはイリノイを出なきゃいけなかったわけだ。ミシガンのあたりとかな。だから…スライド・プレイヤーとして白人の小僧を入れたんだ。
Cub Kody(コーディー、と発音していた)ミシガンのチェルシー出身の。それから、東海岸の辺りをギグして回ったぜ。
その頃もAlligatorと契約は続いていたんですか?
多分な。サインしようとしたら、Bruceのとこと続いてるんだからダメだと言われたことがあったよ、だからまあ契約ってのはあったんじゃねえかな。(笑)
それでは、シカゴのクラブではプレイしなかったのでしょうか?
Oh yeah!(やや心外そうに) してたさ!
や、やってたのですね。
シカゴの北側のブルース・クラブなんかでよくやってたさ。B.L U.E.Sってとこから、Kingston Milesも、Wise Foolsでもな。
クラブですよね。
ああ。そうさ。Tedと、俺と、ピアノ・プレイヤー、名前はMoonって言ったな。Elli Moon(?)。それにBlackってベースプレイヤーも入れてな。それでプレイしたよ。でも自分たちでブッキングしてたんだぜ。(笑)
…
ありがとうございました。お話しできてよかったです!
ああ!ありがとよ!
interviewer:Kjell Wikstrom
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